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住宅ハ住ムタメノ機械デアル。人間生活のためにつくられた狩猟採集民の住まいには現代住宅の機能性と合理性がある。マレーシア・ボルネオ島プナン族。
----そうか。家は社会システムを維持するための装置だったんだ。

「個々の人間のためにあるんじゃない。でもね、同じインドネシアでも狩猟採集民の家は違うんです。禁忌がない」

----どうして?

「人が死んだら、遺骸と共に家を捨てて逃げるんです。死霊がついてこないように。出産も穢れと考えられていたから、別の場所で産んで、清めてから家に入る。だから家に禁忌がない。葬式も、出産も家でしない。これは、何かに似ていると思いませんか」

----えーっと、なんでしょうか?

「僕達、都会生活者に。現代の都会では、葬式も結婚式も家ですることはほとんどないでしょう。出産も、病院が多いし。仏壇や神棚はあっても、禁忌というほどではない。転居も多い。そう考えると、現代の都市生活者は、狩猟採集民によく似ている」

----そうか、私達は狩猟採集民だったのか…。

「特に、韓国は。日本とは不動産システムが違うこともあるけれど、韓国はほぼ2年半ぐらいで引っ越しをするんです。日本は、まだ“終の住処”という考え方が強いから、病院で死んでも家に遺体を帰しますが、韓国は病院で葬式までしてしまう。魂が帰るのは、故郷の墓なんです。建物、空間ではなく、人間を主人公にした人間中心の家なんです」


人はどれだけの物にかこまれて生きているのだろう。3000点以上におよぶ李家の生活財調査から特別展「2002年ソウルスタイル」はうまれた。
 佐藤さんがインドネシアでやってきたことは、伝統的な家のスケールを計り、設計図をおこすこと。こんな理系の人類学者は珍しいそうだが、佐藤さんはハードを徹底的に調べることで、“人間とは何か”あるいは“人間をとりまく社会とは何か”という人類学の永遠の命題を探り続けてきた。

 でも、今、その手法に佐藤さん自身が確信を持てなくなっている。理由のひとつは、伝統的な家屋に住む人自身が、コンクリートの家に憧れ、伝統を捨て去っているから。もうひとつの理由は、現代の日本や韓国では、隣と同じ間取りのマンションや建て売り住宅に住んでいる。ハード面だけなら、インドネシアの農村のように、社会全体が同じ価値観と人生観を共有しているように見える。ところが、私達は隣の人がどんな生活をしているのか、知らない。同じ間取りの家に住んでいても、持っている価値観や人生観はまったく違う。家を調べるだけでは、“人間”は見えてこない。では、どうするか…。『ソウルスタイル』は、そのひとつの答だった。

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