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----展覧会は大成功でしたね。本当に、李さんちにおじゃましたような気分になったし。

「でもね、本当は、僕はあの展示プランには最後まで反対していたんです」

----え? どうして。佐藤さんはどんな展示にしたかったのですか?

「たとえば、真ん中にリビングがあり、そこから5つのドアを開くと家族5人それぞれの部屋になるようにしたかった」

----“家”はいらないのでしょうか?

「僕は、現代に生きる人間は、もはや家という空間に縛られていないと考えているんです。同じ家に住んでいても、インターネットや携帯電話で容易に他の世界とつながれるでしょう。世代間の意識の差も大きい。たとえば、ハルモニ(おばあさん)は伝統的な家族意識の中で生きてきたけれど、オモニ(お母さん)は独身時代は音楽記者として働いていたのに、結婚や子育ての中で自分の仕事をあきらめてきた。ピカチュウやセーラームーンに夢中になっている娘が、ハルモニと同じ老後を送るとは思えない。『家族』でも、同じ家、同じ空間を共有していても、同じ価値観を共有しているワケじゃない。それは、『韓国』という国の中でも、同じ価値観を共有している人間だけではないのと一緒なんです」

----でも、各部屋に家族写真を飾っているし、最も大切なものとしてアボジは族譜(一族の家系を記した本)、オモニは祖先祭祀の祭器を選んでいます。とっても家族を大切にしているようですよ。

「オモニは、本当は自分の音楽記者時代に集めたレコードにしようか、趣味で集めた人形にしようかと悩んでいたんですが、いざハレの場に出るとなると祭器という優等生の答を出してきたんです。展示品の裏を読めば、そういう社会状況が見えてくる。
 李さんちだけでなく、韓国に住む人の多くが家族を大切だと考えているのは事実。でも、ひと昔前なら、家族写真なんか飾らなくても“家族”は自明のものとしてあった。揺らいでいるからこそ、家族が強調されているんです。今では、結婚しない女性も多いし、離婚率も高いですよ」

----うむむむ、深いなあ。そこまで見ていませんでした。

「まあ、展覧会は人が見たいようにしか見ないものですから。僕の主張した5つのドアの展示なら、僕自身のコンセプトはより明快になったでしょう。でも、展覧会は、たくさんの人で作りあげていくものだし、入場者数が6万人近くにもなったのは、今の展示プランだったからこそ。それに、展覧会後期には、おばあさんやおじいさんなど、普段は博物館で見かけないような年齢層の人達も来てくれましたし、僕自身も新しい発見や出会いをしました」


 ところで、展覧会を見た人からは、面白い、楽しいという声と同時に、人サマの物をこんな風にあからさまに見ていいのか、見せていいのか、アルバムやラブレターなど大切な思い出の物まで博物館が収集していいのか、という意見も聞こえてきた。佐藤さんに迷いはあったのだろうか。

 「ないです」と即答が返ってきた。「それだけ李さん一家、特にオモニとは深く関わってきましたから。僕は3週間かけて3千数百点の“物”を調査しました。他の人にとってそれらは収集品であり、データかもしれないけれど、僕はその“物”に込められた想いを知っている。これらの収集を了承したことで李さん一家が受けた影響も知っている。その責任を背負えるのは、僕しかいない。僕が、迷うわけにはいかないのです」

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