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 『ソウルスタイル』は、7月16日に閉幕した。総入場者数58,531人。みんぱくでも近年なかった大ヒット展覧会になった。佐藤さんが編集長のメール・マガジン『こりゃKOREA』をはじめ、展覧会に関わった人や訪れた人からは、存分に楽しんだという感想があちこちから聞こえてくる。

 でも、その楽しげな声をペロンとめくったその下には、まぎれもない“今”が流れている。それは、決して心地いいだけのものではない。

 『ソウルスタイル』は、現代の都会生活者にとって、空間の共有と価値観の共有が重ならないことを露わにした。『国家』が多様な価値観の人で出来上がっているように、『家族』も多様であると。多様性は心地いい。どんな人間にも居場所が与えられる。問題は、それをもう一枚めくったところ。

「家族を結びつけていた“愛”も、共同幻想に過ぎない」
と佐藤さんは言う。

----『国』も『家族』もなく、『愛』もない荒野で、私達は何を寄る辺に他者との社会生活を営んでいけばいいのでしょう?

「愛がないと荒野かな。僕は、愛という共通の価値観で結ばれた共同体、コミューンの方がうそっぽくて、息苦しい。たとえ、愛あるふたりが築いた理想的な共同体も、その子供達にとってはやはり与えられた空間であり、与えられた価値だから、うっとおしい。子供はそこを出てまた新しい共同体を作る」

----それでいいと思いますが?

「残された老人達はどうする? 今、ニュータウンは、老人ばかりになっているでしょう。愛が冷めて離婚したら? 親はまた新しい相手と新しい共同体を作るとしても、その子供達はどうなる? 個人の愛を否定しているわけじゃないですよ。だけど、愛は永遠ではなく、幻想に過ぎないという事実を認めないと」

----ううーん…。

「次々と新しい共同体を作っていくのは、個人を尊重してきた近代のひとつの理想的な姿だと思う。だけど、個人の自由は、自分が年を取って共同体を作る力がなくなった時にどう落とし前をつけていくか、そこまで含めないと自己完結できない」

----自己完結とは?

「もう、日本では“来世”なんて誰も信じていないでしょう。先祖の墓に入るんだとも思っていない。宗教という共同幻想を持たない僕らが、“死”をどう迎えるのか」

----家族の愛に包まれて、現世に感謝しながら…。

「そんなの僕には信じられない。そんな人もいるかもしれないけれど、その共同幻想の中からはみ出してしまう人もたくさんいるでしょう」

----う、私も多分、はみ出す。そこに私の居場所はないです。佐藤さんは、いつも全体からこぼれていくものを見ているんですね。

「今、家族を考えたら、精子バンクを利用する夫婦や、子供を持つ同性愛者のカップルもいる。家族は、もう血縁ではくくれない。価値観の共有者でもない。でも、僕たちは身体を持っているから、どうしても空間が必要なんです。愛でもなく、血縁でもなく、共同の価値観も持たない、たまたま空間を共有してしまった人間同士の関係をどう構築していくか、それを僕はずっと考えているんです」

 “今”、人は空間に縛らずに、遠く離れた他者と価値を共有している。だけど、人は空間にしか存在できない。矛盾なのか、可能性なのか。“愛のない幸せな家族”はありえるのだろうか。『ソウルスタイル』が遺したものは、けっこうずしんと身体に響く。


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