高嶺:丹波マンガン記念館で作品をつくるに至った経緯は、『在日の恋人』に書いたことでもあるんですが、まず京都ビエンナーレ2003のテーマ<光速スローネス>を受けて、自然の洞窟に住んでみようという案が出てきたんですね。それで、当時住んでいた近くでいくつか見て廻ったんだけど、どうにもそれは実現できそうになくて半ば諦めかけていたところに、木村君という友人が記念館のことを教えてくれて、なにはともあれ行ってみようと。
李:そうそう。あの頃は大垣に住んでいたよね。車で来た。
高嶺:そう、遠かったんです。着いてまず記念館を見学して、そのあと山道をブラブラ廻って洞窟を覗いたりして、降りて来たら館長とおぼしき李さんにばったり会った。その時は作品づくりの話はせず、この辺りのことをいろいろ聞いたら李さんは機嫌よう教えてくれて、ついでに「熊が出る」とか「マムシが出る」とか脅されて(笑)。でも、そうやってアポもなくふらっと行って、館長さんに会えたのは大きかった。
李:えらい真剣に話を聞くし、よく質問するし、覚えているよ。長い時間かけて話をして帰ったから、熱心な来館者くらいに思っていたけど。「穴の中はどんな感じなのか」とか、今思えば探っていたんやね(笑)。
高嶺:行く前に館のホームページを見て、すごく緊張していたんです。単なる記念館じゃなく、政治的な意図を持った場所でもあるし、「僕みたいなんが行って、もみくちゃにされへんかな」とか。でもここしかあり得ないと思ったのは、李さんに会ったことが大きくて、そのことで自然の洞窟の中に住んでみるという最初のコンセプトが、丹波マンガン記念館に住み込むことにがらっと変わった。在日ということも入ってきて、在日である恋人との関係も入ってきて。李さんと恋人のKと僕っていう、作品の核になる構図ができた。
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