李:芸術のことも半分バカにしていたよね。妹が音楽家ですけど、芸術って何か意味があるのかなって、その意味を考えたこともなかったですな。だから高嶺さんにも、「どうやねん」て。「土人—今はそう言ったらいけませんね—ネイティブの人なんて、別に芸術なしでも生きている、いらんものと違う?」って。酒を呑みながらそういう話もよくして、その時は高嶺さんも反論していなかった。 高嶺:いや。反論めっちゃしてましたよ。“土人”にも芸術はあるって。 李:確かによう考えてみると、音楽も鳴らすし、顔に化粧もするし、トーテムポールもつくる。こういったことが人間に必要なんだって思っていったんですな。 高嶺:その話は何回もしていました。僕が言ったと思っていたことをまた聞かれて、これはどういう言い方をしたらいいかなって悩んでいたらまた聞かれて。その時、すごく試されてるなと思った。話しているうちに酔っぱらっていくし(笑)。でも繰り返し繰り返し、その話はしていました。
李:消化するのに時間がかかったけど、芸術がそういうものだとして、じゃあ自分の側でも記念館とどう違うのかと考えた。鉱山で仕事をしていたときは、鉱物を掘ったり具体的な物があるけれど、記念館を運営していてもそういう生産性はない。お客さんが来て村が潤うみたいな経済性はあるかもしれないけれど、食べ物や道具を生み出しているわけじゃなくて、人間に知識とか感動を与えたりしてお金をもらう。「それならば一緒やないか」って思ったわけですわ。高嶺君が同じと言ったのはある意味合うている。 高嶺:心のありようみたいなところに関係している。 李:そう。そんなことが随分あって、芸術っていうものが自分で消化できるようになってきたら、行き掛りで手伝っていたのも本腰になるし、大樹が「ヘンな芸術家」って言ったら、そんなこと言ったらあかん、となる。この人はそういう人じゃない。わからんものをバカにするのやないって。 高嶺:ヘンな人かもしれへんけど、ヘンな芸術家ではないかも知れない(笑)。 李:本当に一般の人にはわかりにくい職業やと思う。こと金にならないことは理解されにくい。お金になったらみんな納得するけどね。そういう意味では記念館と本当に一緒。金にならないどころか損しながら運営している。とんとんでもたいがいやのに、アホかって話ですわね。
李:この作品が記念館の中にあることの意味、館と作品の一体性みたいなことで、そうかと思ったのは、ビエンナーレの展示の中にあった、ブラジルの収容所に収容されていた日系人の作品(*ロベルト・沖中の作品)を見たとき。こういうのもありなのかと。高嶺くんの作品は、その作品との対称でわかったわけ。一方で日本の加害の歴史、もう一方で自分らが被ったブラジルの収容の歴史。芸術っていうのは、こういった社会性、差別とかの問題と融合してもかまわない、融合するほうが本意なんやと思った。 高嶺:僕は政治とか社会とか言っても、自分でそれを直接言葉として発することはあまりないんですよ。それは特にこのとき顕著で、丹波マンガン記念館の存在を借りて、そこに作品を展示してあるっていうだけのことで、僕のつくったものがそれ自身でメッセージを発したりしないほうがいい、もっと静かなもののほうがかえってよいのだと、やりながら思っていた。作品で何か言っちゃうと、品がなくなってしまうというか、しつこいというか、説教臭くなるんじゃないかと。 李:そんなことを考えていたの。 高嶺:僕の使った坑道が、記念館から200mくらい坂を上がったところにあるでしょう? その距離も関係していると思うんです。記念館の存在、背景に依存しながら、両者のつながりについては見た人の想像力に任せる方がいいと思った。