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「94年に雑誌『骰子』を創刊するんだけど、その前に『マルコムX自伝』という本を出して、まあ一儲けしたんですよ。スパイク・リーの『マルコムX』の公開とばっちりタイミングが合って。で、折しも『シティロード』がつぶれたんで、買収しようと思ったんだよね(笑)。というのも、『シティロード』には毎号自社広告を出していたから。

ただちょっと事情を調べた時点で買収はやめた方がいいと分かって(笑)、なら自分たちで雑誌を作ろうと。アップリンクの情報を告知する媒体がなくなったのなら、自分で作ればいいんだと。それが『骰子』の始まりです。

書籍は『骰子』の前からちょくちょく出していたんだけど、それも天井桟敷の時に学んだことが基になっていますね。劇団でパンフや雑誌を出していたし、人力飛行機舎で寺山さんの日刊ゲンダイの連載を編集したりしていたし、本を作るのは面白いなあと。高校の時は文芸部だったし(笑)。

つまり僕は、演劇オタクではなかったように、映画オタクではないんだよね。アップリンクは映画配給会社だってイメージを持っている人も多いけれど、『骰子』を始めたら出版社だし、アップリンク・ファクトリーを始めたらイベント会社ですかって言われるし。

なぜそういうことになるのかと言えば、70年代サブカルチャーを体験した世代のDNAのせいなんですよ。あの当時は、演劇も映画もジャズもロックも文学も美術も、土俵が全く一緒だったの。サブカルチャーという大きな一つのジャンルの中で、いろんなものが交通していた。特に僕は天井桟敷という一番コアな場所で純粋培養されてしまった人間だから、DNAはものすごく濃いわけで(笑)。

どうやら僕が一貫して興味があるのは、メディアだね。天井桟敷とはメディアだったし、アップリンクもメディアだし。映画『π』や『I.K.U.』の宣伝をした時に、渋谷の街そのものに色々仕掛けを施したんですよ。それは天井桟敷の市街劇に通じる、街そのものをメディアにするという発想だったわけ。

いま『プロミス』という、パレスチナとイスラエルの子供たちをとらえたまじめな映画をやっているんだけど、自主上映をやりたいという要望がよく来るんですよ。自主上映なんていったら僕からすると超アナクロなことなんだけど(笑)、でもその際には、インターネットを使って会社にアクセスしてくるわけね。日本の至るところに『プロミス』がじわじわ広がっていってる。それは僕の中で、渋谷の街にπのマークをゲリラ的に書きまくったことと同じような感覚があるんです。ああいう映画を自分たちで上映したいという骨のある人たちがいて、そういう草の根的な運動をインターネットがサポートして、起きた現象をマスメディアが拾い上げたりする」


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