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探るほどに面白い、知るほどに謎が深まる“大阪”という都市を楽しむ。


vol.20 大阪商店街ヒストリー

商店街ヒストリー
〜大阪の街を彩ってきた風景・商店街。〜
(月刊「大阪人」2003年8月号より)



 
  大正期には市場とともにすでに商店街を形成していた、野田新橋筋商店街。写真は昭和30年代。
 

●文
甲南大学教授
西村順二 にしむら・じゅんじ

●一九五八年、京都市生まれ。神戸大学経営学部卒業、同大学院経営学研究科博士前期・後期課程修了。福山大学経済学部専任講師、甲南大学経営学部助教授を経て、九八年同教授。二〇〇二年から学長補佐を兼務。専攻はマーケティング論。特に流通システムの構造変化過程を研究。


生活と共にある商店街

 想像してみよう。我々の生活シーンから商店街がなくなってしまったら、どうなるだろう。明日の買い物は、どこですればよいのだろうか。大型スーパーに行って長時間レジに並び不便だなと感じるだろうか。雨降りや日差しが強い日には、アーケードを懐かしく思うだろうか。夜間道行くときには、明かりのついた安全な道筋が良かったなと感じるだろうか。にぎわいや雑踏がなくなり、寂しさを感じるだろうか。今年の地域の祭りは、だれが引っ張ってゆくのだろうか。銀行や証券会社に用事があるとき、遠くまで行かねばならなくなるだろうか。それとも、我々の日常生活には、何の影響もないのだろうか。
 今や、大都市ではコンビニエンスストアとドラッグストアがあれば、日常の買い物は事足りるとも言われる。郊外や都心地域には大規模な小売店が立地し、街にはコンビニエンスストアが至るところで目に付く。現代社会において、単なる買い物場所としての商店街は、その存在意義を失いつつあることは確かである。しかしながら、他方で商店街は社会的な一員として多様な役割を取り込み、生活機能を提供することにより地域の必要不可欠な存在として存在し続けている。大阪ではこの商店街なるものが、いつの時代から現れ、発展し続けてきたのだろうか。そして今や大阪の商店街は、何をしようとしているのだろうか。そしてどこへ行こうとしているのだろうか。その歴史を追いながら、大阪商店街の行く末を展望してみたい。


商都大阪の発展

 「商売の町 大阪」または「商都 大阪」という言葉に代表されるように、大阪は商業を一つの基幹産業として発展してきた。遠くは室町時代、安土桃山時代から商業都市として発展し、江戸時代には「天下の台所」と呼ばれるほどに、日本中のありとあらゆる商品が、大阪へ集まってきていた。つまり、大阪はこれら全国の商品が集積する流通の中心地・拠点として発展してきたのである。商業都市としての大阪の端緒期は、蓮如上人の創出した石山本願寺時代にまでさかのぼることが出来る。それは一四〇〇年代末から一五〇〇年代初頭にかけてのころのことである。参詣をする信心深い人々を相手に様々なモノを売ろうとする商人が、石山本願寺を取り巻く地域に集まってきたのだ。石山本願寺を参拝する人々が増えるにつれ、一時的に集まっていた商人たちは、定期的に集まるようになる。そして、ついにはたくさんの商人が常時立地して、一つの商業集積が形成されることになる。
 その後、豊臣秀吉の時代そして徳川政権下にも、大阪においては積極的に商業活動が進められていったが、それは次のような制度的要因により支えられたのである。第一に、百万都市江戸が大きな販売先・消費地として存在したということである。第二に、江戸では政治を中心とした街づくりが進められていったのに対し、むしろ大阪は豊臣時代からの取引経験を基盤に商業・経済都市化していったということである。第三に、政治・軍略的防衛上から陸上交通網の発展が阻害され、すでに整備されていた大阪の海上輸送網が他地域より優位性を有していたということである。
 江戸の「八百八町」に対して、大阪の「八百八橋」という言葉は、大阪には数え切れないほどの橋があり、水運都市として整備が進んでいたことを表すものである。また、大阪の一面を表す「くいだおれ」という言葉には、美味しいものがたくさんあり、飲食に贅沢になってしまって困窮すると言う意味の「食い倒れ」と、諸国の物資を積載した船の往来が盛んであり、堀川の杭を倒すほどの交通量があったことを意味する「杭倒れ」がある。これもまた、大阪の水運都市としての繁栄を表すものである。
 このような流通拠点としての大阪の発展は、諸物資、情報、金融の収集と全国への供給という収集・分散機能を担当する卸売業者つまり問屋、廻船問屋や荷主問屋などの隆盛をもたらすことになった。当時の大阪の置かれた状況を反映する言葉に「くだりもの」、「くだらないもの」がある。全国から集められた高品質な諸物資は、江戸幕府への献上物として、上方(大阪)から江戸へくだっていった「くだりもの」である。他方、近郊産や地回り品で江戸へ「くだらないもの」は、品質の悪いものと見なされ、そこから「くだらないもの」という言葉が生まれてきたのである。

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