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パフォーマー
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会場
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公演日
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日本三文オペラ |
松岡永子 |
大阪城ホール内に作られた会場での公演。わたしにははじめての場所。 石垣の横腹に開いた入り口は、秘密基地のようでもあり、忍者屋敷のようでもあり。なんだか楽しい。 入ってみて、意外な立派さに驚いた。非常口、スプリンクラー、観客を誘導するための照明…。もともと劇場にするために作られた場所ではないから、天井は高すぎる(空調は難しいだろう)し、むき出しのコンクリートも見える。舞台用の照明を吊すためのバトンもない。しかし正直、こんなにきちんとできているとは思わなかった。ここに至るまでに大阪城ホール、天下の台所改善実行委員会、双方でどれだけの話し合いがなされたことか。この場所のために注ぎ込まれた情熱、時間、手間の膨大な量。見えているのは氷山の一角どころか頂点のほんのわずかな部分だけだ。そしてわたしは観客として居心地の良いその上の椅子に座って眺めるだけだ。 芝居自体は。 みんながいろいろなところで讃えるだろう。だからわたしは少し違うことを書きたい。 「日本三文オペラ」はアパッチ部落にまぎれこんでしまった青年の目を通して、造兵廠(旧陸軍の兵器工場)跡地から金属片を盗み出すアパッチたち底辺労働者を描いた群像劇だ。 戦後、闇市などと同じく非合法な方法で生活している彼らは不定形のエネルギーに満ちている。 登場人物の数も半端ではない。舞台に文字通り人が溢れる。 その人数を集団としてまとめあげ、見せる演出力。役者たちの熱気。素晴らしい。祝祭性は充分。 それでも。 これは「三文オペラ」ではない気がする。 彼らの熱意を疑わない。誠意を、努力を疑わない。そういうことではないのだ。 たぶん、アパッチとわたしたちとはもうすっかり隔たってしまっている。 本来わたしたちの視点である青年が、口にするアパッチへの違和感「僕や僕たちの生活はここにはなかった」。 その言葉にすらもう実感がない。初演の頃にはまだ違和への実感はあった気がする。当時、「現在」とアパッチの生活には距離があったのだ。今ではもう、その距離すら感じられない。 青年がアパッチに声を掛けられる場所、新世界は「(動物園の)ケモノの臭いとモツを煮る臭い」と描かれるが、この芝居には臭いはない。アパッチを演じる若い役者たちはみんな小綺麗で臭ったりしない。 (衣装を必要以上に汚したり破ったりしていなかったが、これは見識だと思う。表面的に似せようとすればするほど作り物めいてくるのだ) 今の若い役者はアパッチを演じるのに向いていない。 彼らとアパッチとの一番大きな違いは何だろうかと考えていた。 彼らには、「いやしさ」がない。 他人を踏みつけにしても自分だけは生き残ろうとする「いやしさ」。アパッチの人間性というのはそういういやしさを抱え通り抜けたところにあったはずだ(わたしにとっても、それは想像でしかないけれど)。いやしい有象無象だったからこそ計り知れないエネルギーもあったし、その中にとんでもない思想家や芸術家が混じってる(かもしれない)のが戦後という時代だったのだろう。 連想したこと。 学童疎開シーン撮影のため子どもを集めたら、みんな太っていて健康で感じが出なかった、という話。当然だ。たとえ痩せぎみの子を選んでも、すんなり伸びた手足は栄養失調の結果とは違う。 つまり、もはや戦後ではない、ということだ。 非国民、ならぬ自己責任という言葉で、政策に従わない者を見せしめにつるし上げようとする国など、もうとっくに戦後ではない。 いやしさがないというのは悪いことではない。彼らはお行儀よくやさしい。暴力的な奔流とは違う形で彼らのエネルギーを見せてくれるだろう。脆弱さを感じてしまうのはわたしの老婆心なんだろう。 でも、今回これだけのことができたんだからこれからはもっと思う通りのことができるようになるよ、などという楽観はわたしには持てない。 ただ、彼らが最初に一歩踏みだし形にした、その場に立ち会えたことをよかったと思う。
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