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終焉する時 平加屋吉右ヱ門
 4年ぶりにセネガルから帰国し大阪に赴任したという、古い友K君からの葉書が、私の手もとに届いた。植林の仕事を現地で行ってきた彼の顔は、真っ黒に日焼けしているのだろうか。遠く学生の頃の思い出が蘇る。
 舞台の中央に小さな卓袱台が一つ。下手奥に手回し蓄音機が一台。年老いた男が覚束ない足もとでその卓袱台にたどり着く。既に亡くなった友人の中迫との思い出を男は反芻している。それは物にまつわる記憶。一つ一つはありきたりの物だけれども、集めてみれば何ともいえない皮膚感覚のものが並ぶ。SP盤のノイズの中に、偶然録音されたサラサーテの声。リンゴを丸かじりする感触。傷んだ桃を食べる、妻と残り少ない命を生きるその妹。冷やしうどんに、千切りこんにゃく。
 同じ原作で鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」という映画がある。藤田敏八と原田芳雄が内田と中迫の役を演じていた。30年前に観たせいか、映画の独特の色彩のせいか、この思い出の品々が死の匂いとともに、妙にエロティックな印象として残っている。しかし今回観た舞台からは、同じ道具立てにもかかわらず、全く違う感想が私の中に湧きおこってきた。
 冒頭、屋根の上に小石が落ちてくる。カラン、コロン、カラカラカラカラ・・・。「屋根の小石はどこから来てどこへ消えていったのだろう」自らの人生が終りかかった時に初めて気付く不安と、何もその証として残っていない空しさ。断片的な記憶や僅かな物の中に残された友と自分がこの世に存在した記憶を辿ると、時間の闇の中に吸い込まれていく自分を見つけ内田は呆然と佇む。
 この芝居を観て二週間ほど経ったある日、会社の同期入社のA君が急性心不全で亡くなったというメールが届いた。
 「命短し・・・・・・・」と何度も繰り返すフレーズ。・・・は敢えてハミングにしているのだろう。


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■再演
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同公演評
舞台化になった幻想譚 … 西尾雅

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