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嫉妬に狂う男とたくましい女 西尾雅
近代日本の古典戯曲を小劇場若手が演出する芸術創造館冬の名物クラシック・ルネサンスも4年目。今までの参加劇団にもよくあるケースだが、PM/飛ぶ教室もオリジナル以外の上演は初めて。脚本の選択に始まり、その読解と演出力を毎年4人の演出家で競う貴重な試みも、本作が早くも今冬2番手。クラシック・ルネサンスを観て例年思うのは、わずか100年足らずで日本の社会と日本語が大きく変わってしまったこと。そして、それでも変わらない人間の普遍性がやはりあること。台詞は原作のままという縛りを現代の感性に訴える劇団の力量がそこに問われる。

オリジナルの上演時間が長いことに定評あるが、原作が短い古典を上演してもやはり2時間半かかったことに驚く。むろん1本だけではなく短編3本を休憩なしで連続上演したのだが、同じ和室を障子や襖、簾を取り替えて別の部屋に見立てる趣向が小気味良く、各編のつなぎもスムーズ。暗転時の黒子姿の作業や各編導入部での役者の歌もいい薬味。蟷螂得意の独白長台詞がない分、古典の方が逆に取っつき安く、上演中は長さを感じさせない。3編のモチーフは一貫して男の嫉妬、そのもたらす悲劇がどんどん深刻になるがラストに救いがある。渾身の独台詞で明らかなように蟷螂の魅力は一途な情念にある。思い込みの強さは、他人の作品でも削がれてはいない。いかに原作者に惚れ込んだかがうかがえる。無名で貧窮だった故人に心酔し、その無念を仇討ちする意気込みが迫る。

「春」は、自分は働かず恋人に売春させ食わせてもらっているヒモが、留守中に自分の友人と彼女の親しげな様子に嫉妬を燃やす。男の身勝手さ、狭量さがまざまざと浮き出る。稼ぐための売春はOKだが、女が自分の意志で心許すのは堪えられない。逆ギレしたヒモは、いっそ女に殺意すら抱く。強がる男の弱さがそこに透ける。

「嘘」も同様に男女の3角関係を描く。妻と友人の仲を疑う夫は、暴力に訴えて自白を迫り、あげく妻を追い出す。居所をなくした妻は、くだんの友人を頼るのだが、実際不貞を働いていない友人は、嘘の告白をした妻を責め、自分まで巻き添えにされたと怒り出す。淡い好意を抱いていた妻は友人にすがるのだが、はねのけられて自殺を覚悟する。DVという言葉がない昔から、家庭内暴力が珍しくはなかったことがわかる。けれど、夫の暴力以上に許せないのは関わりを避ける友人のずるさである。ここにも、まさに女を見殺しにする男の弱さと無責任が見てとれる。

「恥」は関東大震災直後の東京が舞台、妻子を亡くし(行方不明)茫然自失の栄作が、兄宅に大阪への引っ越し挨拶に見える。家族の思い出がある地を去り、心機一転するしか悲しみを癒せないのだ。いっぽう、もうひとりの弟は、妻が浮気し自分の元を去っても忘れられない。妻に未練残す弟は舞台に登場せず、心配する兄夫婦の会話で事情が観客にわかる仕掛だが、そこに事件が報じられる。噂していた弟がたった今、妻を刺し(命は助かる)本人は自害したという。大阪への門出を祝う酒が、一転して弔い酒に変わる。いっそ自分もと一瞬死を覚悟した栄作を兄嫁が思いとどめる。無理心中を図る男の弱さと卑怯さ、生きる屍のような栄作の苦しみと兄嫁の強さたくましさが対比する。生命力あふれるのはいつの世も女の方なのだろう。

主宰の蟷螂は男臭さを究めるキャラだが、劇団女優がいずれも名花ぞろい。「春」の売春婦は山藤と足利のWキャストでこの回は足利が演じ、しなやかな強さの中に清潔感を見せる。「恥」の福井も凛とした全身のたたずまいが、口うるさい夫(蟷螂)以上にこの一家を支えていることを伝える。が、存在感で圧倒したのは、細い身体から火花が散る抵抗を見せ「嘘」の妻を演じた田中だろう。可憐で貞淑な妻が、いわれなき疑いをかける夫へ抗議する中で自我に目覚め、好きな男の胸に飛び込む大胆さを発揮、その男に拒否されるや誰にも頼らぬ自立を果たすドラマチックな変遷を完璧に見せる。

キーワード
■恋愛 ■クラシック・ルネサンス
DATA

同公演評
もっと「現在」を感じさせてほしい … 松岡永子

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