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久保君をのぞくすべてのすみっこ 栂井理依
 孤独で寂しい人のところには、
 孤独で寂しい人たちが集まってくる。
 なぜなら、寄り添わなきゃいけないから。
 なぜなら、支えあわなきゃ立っていられないから。

 おしっこをもらして、みんなに嫌われる「久保君」は、教室のすみっこにいる。嫌われるものは、教室のすみっこに追いやられる。そして、みんなが仲良くしているのを、指をくわえてじっとみている。空いている3つのすみっこ。誰もが、いつそのすみっこに追いやられ、自分がそんな久保くんになりたくないと、みんな焦っている。そんなひとたちがおとなになったら、
どうなるか—。

 舞台は、ある人気漫画家のアトリエだ。幸せな結婚生活を捨てて漫画を選んだ彼女は、成功の代償として、常に売れっ子でいなければならないというプレッシャーと闘い、過食と家出を繰り返している。
 そして、そんな彼女の面倒を見るために、キャリアを捨てて家政婦となった姉と、ずっとアシスタントを続ける友人・清水。
 若いアシスタント2人のうち、学(♀)は、ここを追い出された香(♂)と付き合っている。浮気をされても、妊娠中絶を強いられても、学は、かつて拒食症だった自分のことを受け入れてくれた香から、離れられない。
 出入りする漫画誌の編集者も、仕事はできるが、離婚して登校拒否の息子を抱え、それでも小説を書く夢を捨てられずに宙ぶらりんだ。

 深く愛されていない、いや、愛されていても、過去に抱え込んでしまった「久保君になりなたくない」劣等感ゆえに、愛を実感することのできない彼らは、欲望、期待、自己嫌悪に苛まれ、満たされずに、自らの心を狂気の水で浸していく。鈴江作品に出てくる登場人物たちは、一見、みんな無表情・無関心だ。その実、強く結びついているようでいて、裏を返せばやっぱりアンバランスな関係なのだが、その個々が持つ狂気の水の中で、感情はゆらゆら揺れる。

 観ている方としては、もどかしくてしかたない。だが、鈴江節、と言われるまでに、洗練され確立された彼の作劇法の中では、登場人物の狂気の水が溢れるとき、破壊衝動が表れるとき、感情のカタルシスが、必ず訪れる。

 いよいよ、増やした連載のプレッシャーに耐えきれず、漫画家が逃げ出す。その夜、いつものように、深夜、アトリエで痴話喧嘩を始める、学と香。別れ話を切り出したにもかかわらず、自分への愛情を主張し続ける学に、香は、言葉のかわりにニャ−と叫び出す。自分が死なせた猫。喪ってみて、いつも隣りにいたことに気付く。愛してたのか。俺は、愛してたのか。猫と、彼女と、漫画と、自分自身を。
 呼応するように、学もニャ−と鳴く。そして、現われた清水、姉、編集者…みんなが、自らに潜む狂気の水を少しだけ溢れさせ、想いを込めて、鳴くのだ−。

 しかし、翌朝、漫画家が戻っているわけではない。そう、鈴江作品では、感情のカタルシスはあっても、現実的な問題解決はほとんど起こらない。登場人物たちは、少し昨日の自分を自嘲しながら、日常へと戻っていくのだ。

「久保君になりたくない」まま、大きくなって変わらない彼女たち。その日常に秘められた狂気の水、それが揺れる様、そして時に溢れる様。鈴江氏が描くのは、劇的出来事ではなく、「変わらない」ということ。そして、現実も、大きな変化を起こすよりも、問題を抱えて、日常を過ごす方が難しい。

おそらく、鈴江氏自身が、敢えて、そんな日常にとどまっているのだろう。—孤独で寂しいままでいいじゃない。寄り添って暮らせばいいんだから。

キーワード
■死 ■OMS戯曲賞
DATA

同公演評
凍りつく淋しさの影絵 … 西尾雅

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