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                      | 「この恋や思いきるべきさくらんぼ」 | 松岡永子 |   
                      | ひなびた温泉宿で新作の構想を練っている売れっ子映画監督・貸間有二(蟷螂襲)と新人助監督・下手村(三上剛)。新作は太宰治・その作品をモチーフに、という注文らしい。次々と太宰の小説を挙げる助監督。はぐらかすように、揶揄するように受ける貸間。かみあっていないような、かみあっているような会話を続ける二人。 その中で貸間は「故郷」に過剰な拒否反応を示す。
 映画会社から電話があり、新人女優・神野弥生(船戸香里)をやるから使えるかどうか見てくれ、と言う。そんなもの会いたくないという貸間に、やってきた娘は一枚の紙をしめす。
 「この恋や思いきるべきさくらんぼ」
 その歌は、昔、恋人だった女性に贈ったものだ。
 物語設定のパターンからいって若い頃に捨てた娘かと思ったが、捨てた恋人の妹だったらしい。少なくとも表面的にはそういうことで話は進む。(恋人との間に肉体関係はなかった、という話がほんとうらしく語られるから、血の繋がった娘という設定ではないらしい)
 姉は亡くなった、と淡々と告げる娘。ショックが態度に表れる貸間。
 娘の姉には恋人が二人いた。一人は小説家に、もう一人は映画監督になった(それぞれ太宰治、川島雄三を思わせる)。
 奴は小説のネタにするために恋愛しているようなところがあった、と貸間は言う。つまり、自分だけは、純粋に愛していたと言いたいのだろう。
 無頼、なんていうのは甘ったれた坊やだ。結婚などにはむいていない。女に求めるばかりで与えることなど考えたこともないのだろう。そう思わせる、もろい男を演じると、蟷螂さんはうまい。
 誰かの面影を捜すように、入ってきた娘の顔をのぞきこむ表情。
 「姉に求めたのは母ですか、故郷ですか、その両方ですか」と詰問する娘に、結局男はみんなそうでしょう、と開き直って叫ぶ年甲斐もない子供っぽさ。
 去っていく娘のために何かしないではいられず、両手いっぱいに蜜柑をつかんで、けれどその後ろ姿を見送るのにも間に合わない…
 昔のドラマによくあった、不器用な「男の」悲哀。「男の」優しさ。
 誰もしあわせにしないタイプの優しさだ。個人的にはこういう男は嫌いだが、確かにこころ打たれるものはある。
 対する娘の、背筋のぴんと伸びた凛々しさ。若い娘に特有の、硬いつよさ。清いあやうさ。
 これも娘の理想像のパターンだが、やはりうつくしい。
 助監督の曖昧な存在感もよくできている。
 舞台後方を闇にし、座敷の人物だけに光を当てる。
 人物・時間・場所を切りつめた、密室劇としてとても完成されたものだった。
 
 
 
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