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ところで、ご自身では、どういうタイプの人形遣いだと思っていますか?
「うーん、そうですね……理屈よりは感じたままに。あまり人物像を掘り下げて、研究するタイプじゃないですね。もちろん、役によっては研究するのですが。それから、同じ役でもその時、その時によって変えていく。やっぱり舞台は生ものだから、決まった“段取り”の繰り返しをやっていてもお客さんには何も伝わらない。大夫さんも、その日の調子があるんだから毎日違っていて当たり前だと思う。まあ、そういうタイプでしょうね」
舞台を拝見していると、勘十郎さんの人形の動きは細やかで、リアルで、私たちのような文楽鑑賞経験の浅い、映像世代にも面白く伝わってきます。
「手数は多いですね。動きが多い。それはよく言われるし、良くも悪くも自分の持ち味だと思っています。でも、これから自分も年をとってくると、手数も減ってくるだろうと思っています。自然に」
それは、どうして?
「余裕が出てくるんですよ。今まで、三行の文章で五つのふりで表現していたのが、三つですむようになってくる。三つで十分芝居が出来るようになるんです」
なるほど。
「だから、最初は手数を増やしておいて、だんだん削っていく。すると今の師匠たちのように落ち着いた芝居、演技になるんです。最初から、名人の完成された芝居を見て、真似をしても絶対にだめですよ。格好だけ真似してもスカスカ。お客さんには何も伝わらない。師匠たちは、何もしないでも存在感があるでしょう」
確かに。『菅原伝授手習鑑』の吉田玉男さんの管丞相などは、ほとんど動かなかったのに場を支配していました。
「それは、玉男師匠があの年(現在・84才)になるまで蓄えてきたから出来ること。若い人が真似したって、人形を立てて置いておく方がマシだって言われますよ。心もない、腕もないのに真似してもあかん。今は、昔の記録映像があるから、見て参考にしたらいいと思いますが、その時、完成された師匠の芸ではなく、師匠がもっと若い頃にやっていたものを見たらいいんです」
師匠そのものではなく、師匠が見ている方向、見ようとしていることを見るように。
「そうそう。師匠も若い頃はこんなこともしていたのか、という発見がいっぱいある。そうやって師匠たちは、引き出しをい〜っぱい作ってきて、その中にいろんなものを詰めてきたんですよ。たとえば、『今演った芝居を別のフリで最初から最後まで演ってください。さあ、スタート』と言われても、さっと出来ますから。“泣く”だけでも、い〜〜っぱいある。上を向いて泣くだけでも、四つも五つも持っている。下を向いて泣く、手ぬぐいで泣く、袖で泣く、袖を巻いて泣く……それぞれの引き出しに三つ、四つ、五つと持っている。いっぱいあるんです」
すごい!
「僕などはまだまだ引き出しは少ない、開けてもひとつ、ふたつしか入っていない。ちょっといい具合に詰まってきた引き出しもあるかな。今は、引き出しをどんどん増やして、とにかく何かが入っているようにしたい。そういう作業をしている途中なんです。“泣く”といったらひとつのパターンだけ、そんなのでは芝居なんかできない」
それが「文楽」ですよね!! 世界中の人形劇でもここまで極めた芸能はないでしょう。
「面白いですよ。ここまで作りあげた先人達がすごい。人形の仕掛けも変えるところがないですから。この完成度の高さはなんだ、と日々思いますよ。本当に面白い。大切にせんとね、いっぺんでも途絶えてしまうと元には戻らないから」 |
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