TTR能プロジェクトの<花形能舞台>のインタビューにもあるように、幼い頃から、興味が湧くと積極的に行動していた玄さん。
能が好きでたまらなかった玄少年だが、落語も、彼の心をつかんでいたものらしい。
「おにーさ〜ん、生ビール、おかわりくださ〜い」
味方「僕、小学生の頃、『枝雀寄席』見るの好きやったんですけど、枝雀さんも最初のお話が面白かった。でも、『枝雀寄席』って夜遅かったから、眠うて眠うて起きとくのん必死やったな」
『枝雀寄席』が見たくて必死で起きてる小学生ってどないです?
吉朝「そら変やで(笑)」
枝雀さんの独演会も中学生の時に一人で行ってはったんですって
吉朝「やっぱり変やで(笑)」
味方「え〜?吉朝さんも中学生くらいの時に一人で見に行ったはるでしょう?」
吉朝「いや、僕は父親や親戚のおじさんに連れてってもうたよ」
味方「僕も最初は父に連れられて行ったんです。今日、『元犬』の<マクラ>に出てきた<ピーチク寄席>をやったはる誓願寺なんですけど」
吉朝「へぇ。あ、『元犬(もといぬ)』を教わった<ピーチク寄席>の京遊亭三木治(きょうゆうてい・みきじ)さん、今日、来てくれてはった。あの人ね、法衣屋さんの旦那さんやねん」
法衣屋さん?!ほんまにアマチュアの人に教わらはった噺なんですねぇ。でも、『元犬』って、なんか好きやなぁ
吉朝「味方さんは<ピーチク亭>に行ったの?」
味方「いえ、策伝忌(さくでんき)っていうの、ご存知やと思うんですけど、米紫(べいし)さんやらが来たはって、落語聴くのって面白いな、と思て」
吉朝「米紫さん知ってんの?!」
こういう小学生ってどないです?(笑)
吉朝「ほんまに変やな(笑)」
味方「だって、米紫さんが亡くならはった時、新聞で知ってショックやって。普通のちっちゃい死亡欄に載ってるだけやったから、それが余計に悲しくて泣いたもん」
ますます変な人でしょ(笑)。それはそうと、桂米紫さんて、どんな方やったんですか?
味方「たらこくちびる!(笑)」
吉朝「(笑)面白い人でね。‘ちょっとこっち来てワシの頭触ってみ’て言わはるから、上からこう触ったら、‘どや、柔らかいやろ?枝雀の頭は堅いねん’て(笑)」
うははははは(笑)
吉朝「あの人、晩年、頭は白かったけど、ふさふさしてたしね(笑)」
味方「でっぷりしてて、はれぼったい目でね。んで、タレてんねん(笑)」
吉朝「そや(笑)。せやけど、<味方玄>と米紫さんの話をするとはなぁ」
桂米紫さんは、月亭可朝さんと「米朝師匠の一番弟子はワシや!」とお互いに譲らなかったというエピソードが、『桂米朝 私の履歴書』(日本経済新聞社)の年譜に載っている。
そんな懐かしい話で盛り上がり…って、この二人、午年生まれで、ちょうど一まわり違うんやけど…。
「賀茂川の鮎、焼きましょか?」
「焼いて焼いて〜」
吉朝「僕、お酒にしよかな。冷たいのんください」
味方「吉朝さん、舞台に出て来はったら、まず右上見はるでしょ?‘お?2階になんぞあるのかな’と思て(笑)」
吉朝「え?僕、そんなことしてる?」
味方「(笑)必ず見はるんですよ。ほんで、座って着物の上前、こう触って直さはる」
ようそんなとこ見てはるわ。細かっ(笑)
吉朝「ほんまや(笑)。僕、全然気づいてへんかったわ…。<マクラ>の時、右は見やすいから、ついそっちばっかり見てしゃべってしまうでしょ?そういうのは気をつけてるけど…そんなん言われたら意識してしまうなぁ(笑)。2階のほう見てる?僕、目ぇ悪いから何も見えてへんねんけど…やめてみよかなぁ?」
え〜、やめんといてくださいよ〜。んもぅ!意識させたらあかんやん!(笑)
味方「違う違う(笑)。右が見やすいからやなくて、吉朝さんが出て来はる時のスタイルっていうか、ルーティーンみたいなもので、イチローがバッターボックスに入った時に一連のしぐさをする、吉朝さんも無意識にしたはるけど、そういうのと一緒やと思うんです。で、それがまた恰好いいんですよ」
そうそう
吉朝「あ、そぉ?(笑)」
味方「出てきはったとこ、真似しましょか?…こう右上のほう見て…」
に、似てる〜(笑)。特徴つかむの上手いねぇ
味方「(笑)その人独特の型があるというのがいいですよねぇ。米朝さんや枝雀さんも、すごい人は皆さん特徴あるでしょう?」
私、吉朝さんが米朝さんや枝雀さんの出て来はるとこをしはったん、見ましたよ
吉朝「ああ、あれな(笑)」
“あれ”というのは、昨年7月、サンケイホール<第10回桂吉朝独演会>の『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』の中で、吉朝さんが見せてくれた趣向のことだ。
それぞれの出囃子とともに現れる、ほんの数秒の微妙な癖を見事につかんだ芸に、お客さんは大喜びだった。
<桂吉朝独演会>10回記念の番組は、この『地獄八景亡者戯』と『怪談市川堤(かいだんいちかわづつみ)』。
師匠の米朝さんが、サンケイホールで初めて、つまり、第1回の『桂米朝独演会』をした時の演目が『地獄八景亡者戯』と『怪談市川堤』。
昭和46年7月、<桂米朝>の大阪で初めての独演会だった。
それを高校生だった吉朝さんが観ていた。
そして、噺家になろうと思った。
高校卒業後、憧れの師匠に入門して28年後、こうなることを誰が予想しただろう。
そういう巡り合わせの人だ。
関係者の期待の大きさ、のしかかるプレッシャーたるや想像を絶するほどだったろう。
客席の熱気も、そりゃもう、すごかった。
それ以上に、当人の想いはさぞやと…。
しかし、舞台の上の<桂吉朝>は、憎らしいほど揺るぎなく、どこまでも恰好よかったのである。
「これ、稚鮎、大将が煮いたん?やらこう(=やわらかく)て、あんまりあも(=甘く)なくて、美味しいねぇ」
お酒がつるつる、気持ちよく喉をすぎてゆく。
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