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小粒のメセナ?個人の趣味?アートを支える多層なアクターに突撃


#5:(株)レイコフ×奥山泰徳

 

 
「企業が個人の力を求めている」−奥山泰徳さん(yasunori okuyama)

1975年 愛知県生まれ
名古屋市内の乾物屋さんなのにモノづくりに携わる家系の3男として生まれる。大学進学を口実に大阪に出て来た後、有限会社アートニクス代表としてコンテンツレーベルカフェを運営。カフェを拠点にグラフィックデザイン、イベント制作などアートイベントを行うためにかゆいところに手が届くサポートも行う。

T−
先日は、「re:birth」の開催お疲れさまでした。早速ですが奥山さんが、このプロジェクトに関わったモチベーションは何だったのでしょうか?

奥山(以下「O」)−
今回のプロジェクトは人を介して桑原さんから持ちかけていただきました。でも、最初は「街づくり系」の話ということもあって、自分はどういった仕事を求められているのかを冷静に判断して関わろうという姿勢でした。なぜそうだったのかと話しだすと長くなっちゃいますよ、僕。なんせ、9年間コンテンツを運営している経験によるものですから。

T−
では、コンテンツを立ち上げたいきさつから伺ったほうがよさそうですね。ぜひ、聞かせてください。

O−
もともと、コンテンツは僕の6才上の兄と一緒にこの場所で始めました。しかし、兄は名古屋の実家に戻り、今は別々に仕事をしています。兄が大学生のころからいろいろなイベント制作やデザイン関係の仕事など本当にいろいろと手掛けていたんですよ。今や関西演劇界の重鎮となった劇団さんと一緒に事務所を立ち上げたり。バブルも経験している世代だから、当時は学生にすごくパワーがあって、面白いことをしていると学生でも仕事を受けたりできたんですよね。

T−
そこに興味を覚えて、奥山さんも大阪に来たのですか?

O−
僕、とにかく一人暮らしがしたかった。それで大阪も楽しそうだなと思って。家を出る口実に大阪のとある大学に入学したのですが、実際に学校に行ったのは始めの1週間だけでしたね。あとは勝手に大阪芸大に入り込んで、友達をつくったり作品制作の手伝いに明け暮れていました。
コンテンツは、兄や僕が出会っていった新しいことをしたいと考えている人達がなんとなく集まったり、その中から生まれたアイデアでイベントができる拠点にしていきたかったんですね。もちろん、知らない人であっても、僕達が仲介になってどんどんつながっていってくれるような。それで、今は1階ではドリンクやごはんが食べられ、2階は作品の展示やイベントができるスペースにしています。

T−
店を立ち上げるのに色々と場所を探した上で、船場にされたわけですよね。
9年前だと「カフェ」がどういう場所かもあまり一般的でなかったですから、関西ではコンテンツさんがその先鞭をつけた感があります。そういう実験的な試みをするには、当時の船場はまだ注目を集める場所ではなかったように思いますが。

O−
9年前は、御堂筋より西側の南船場4丁目や堀江付近にアーティストと関わりのあるデザイン事務所やショップが増え、若い人が動いていく雰囲気ができつつあったから、そちらに店を出すことも考えたんです。あとは船場心斎橋筋、丼池ストリートは昔からの商店街ですからね。それらの地域に店をだせば話題になっていくことが見えているけど、それではちょっとつまらないなと思ったんです。
といはいえ正直、ここにコンテンツを構えてから数年はやっぱり場所選びを間違えたかなと思う時が何回もありましたね。それまでつきあいのあったアーティストや同世代の友人にとってもあまりなじみのない場所だったから、同じイベントをしてもお客さんを引っ張ってくるための労力がかなり必要ですし。

T−
それでも船場を選び、そして離れなかったのはなぜですか。

O−
やっぱり、地に足がついた場所だと判断したからです。実際に現在コンテンツの客層は若い人ばかりではありません。ランチ時はOLさんや近隣のサラリーマン、お茶の時間には近所の御隠居さんなどが集まってくれたりと、一時の興味だけではなしに毎日のリズムの中で使ってくれる人たちがいるからですね。
おそらく、堀江などで店を開いていたら同世代の人ばかりとのつきあいになってしまっていたでしょうね。結局こういう風に、独自のカラーがはっきり分かってもらえるようになったのは、この場所だったからかもしれません。

T−
若い子が何かクリエイティブな話を聞くためにも使え、サラリーマンのおじさんも落ち着いて居られる。カフェの雰囲気にゆったりとした幅がありますよね。
それでも、やっぱり始めは周りのお店とはかなり異質だと捉えられたんじゃないですか。

O−
今も、まだやっぱり異質でしょうね。もちろんご近所にはあいさつしますし、イベントの時には気も使います。でもここ数年までは、自分が「こうなりたい」「店をこうしたい」と思い描くイメージと現実の差を埋めることで頭が一杯で、自分の周りが見えていなかったから、それはあまり気にはならなかった。ここを飛び出して何かをしようというのはなかったですしね。

T−
南船場プロジェクトに関わったのは、奥山さんとしても周囲の状況をつかめる時期を迎えられていたから?

O−
そうかもしれないですね。ただ、このプロジェクトに関わる以前にも地域のイベントには関わったことがあるんです。
この時のことが、僕がはじめに桑原さんの話を聞いた時に疑った原因でもあるのですが…。

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