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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


24 読解できないもの その2

ピチェ・クランチェンさんロング・インタビュー

                           聞き手:メガネ、通訳:塚原悠也(dB)

インタビューでは、以下の3点について質問をさせていただきました。制作の出発点とプロセスについて。作品の内容について。そしてタイのコンテンポラリー・ダンスが置かれている状況について。


 
  愛犬パワーとピチェ・クランチェンさん。
 
+制作の出発点をどこに置かれるか。どういう依頼を受け、どのような構想があったのかからお話していただきましょうか。

ピチェ(以下P):この文書の話から始めたほうがよさそうですね。公演後にお客さんにお配りした16頁の文書で、70頁くらいある全体の一部なんだけど、作品にはこれで十分でしょう?書き始めたのは4年前、ドイツで仕事をしていたときです。そこに書いたシンボルを見つけるのは、私のダンスにとって重要なことでした。というのは、古典舞踊について話をしても、タイの人でも理解してくれないからです。でも、三角や四角といったシンボルを用いるとわかりやすいみたい。それで、書き終えて出版社や大学に持ち込んだんだけど「ダメ」なんだって。「これは記事じゃなくて、あなた個人の話でしょう」と。どっちかなんてわかりません。グレーゾーンにあるんだから。「じゃ、いいよ」って引っ込めて、一年くらいはあちこちに送って闘ったんだけど、みんなダメっていうからやめちゃった。それからは自分が教えているダンサーやカンパニーに、やっている事を説明するために使っていました。そうしたら、彼らは古典と西洋のコンテンポラリーの関係を理解し、様々なつながりを見つけてゆきました。いつも言うのですが、コーンの舞踊は森羅万象に属していて、自然と科学の中間にあります。一般にダンスとはそうしたものなんです。孤立したジャンルではなく、様々なものとつながっているんです。

さて、滞在制作のオファーを受けたときは、特にコンセプトもなく、「タイトルは『ペーパー』にしようかな」なんて。だって、dBの人が「この書類を送ってください。この文書も必要です。写真もあれもこれも…。」って言うだんもん(笑)。で、そのための旧式タイプライターを2台、小道具に準備してもらうようお願いしたりして、そんな事を考えていました。

ここに着いて最初の2日はワークショップとオーディションです。その前に参加した第3回アジア・ダンス会議でもやったように、このペーパーにもとづいたワークショップをやりました。それで、まあなにがしかの考えは理解してもらえたという感触を得て、2週間あるということも考えて、自分が内部から理解しているこの三角、四角、円から始めるのが皆にとっていいように思えました。
同時に、ワークショップが終わる頃までには、5人の参加者に関心を持つようになっていました。俳優が一人、彼女にはしゃべってもらおう。ダンサーとして、構造をしっかり持っているピーターは絶対に必要でした。彼には四角を表現してもらおう。ジョンミについても確信を持っていました。彼女は円。倫子について言えば、無の状態なんだけど、人格的に面白いと思いました。そして、実はもう一人、コミカルに料理をしてみせた料理人がいたんです。図形を描く場面の後にタイの料理やデザートを調理してもらう場面を挿入するにはよいと思ったのですが、詰め込みすぎだし、作品があまり面白可笑しくなってもと思い直し、4人に決めました。

+今のお話で、構想とそれを実現する出演者が選ばれた経緯が理解できました。その結果、全く異なるバックグラウンドを持った4人のダンサーが集まりましたね。彼らが集まった事で何か作品に新たな意味が加わりましたか?

P:まず大事な事は、違いによって生じるバランスです。私はバランスを必要とする人間なんです。また、教師だからという意味でも、バランスを信じていますし、重んじます。例えばトップダンサーばかりを集めたとしたら、大変でしょうね。彼らはお互いに学び合うのではなく、競い合いますから。異なるダンサーが共同作業をするのはよいことです。なので、背景も年齢も思想も異なる人々を集め、考えを交換してほしかったんです。

+文化的背景ということでいえば、アメリカ、韓国、日本と出身地の異なるパフォーマーが集まりましたね。これは日本でワークショップ公演をする際には珍しい事なんです。予期したことではなかったかも知れませんが、そういった国際性や文化的な違いが作品に寄与した部分があると思われますか?それともさほど重要なことではなかった?

P: それについてはまだ判断していません。まず構想とシンボルを他の要素と結びつけてくれるダンサーに興味を持ったのであって、国際性云々ということは考えていませんでしたから。昨日プログラムを書いていて、それぞれの出身地の違いを改めて意識したほど。考えてみると、それは(作品で用いた)シンボルにも似ていますね。様々なシンボルは、同じところに帰属している。私たちだって、個性は異なるけれど、ダンサーであり、人間である。その上でそれぞれの文化を持っている。ただ、ピーターと話をしていて気づいたのだけど、三角、四角、円といったシンボルの意味合いが文化によって異なっていて、それは面白いと思いました。そこからパフォーマンスは次のステップに行く事ができる。3つの国出身の3人のダンサーが同じシンボルを用いる。それぞれの国で、シンボルがどういった意味を持つか見せ合ったりする事で、別のパフォーマンスになるわけです。そのことについてもたくさん話し合いました。

+大変興味深いお話です。シンボルの話が出た所で、作品について具体的にお聞きしたいと思います。まず最初に、基本コンセプトを、シンボルと言葉を3面の壁と床にチョークで描いてゆかれましたね。これらは観客にとって、目の前で展開するパフォーマンスを「このように見て」という導入、あるいは視線のガイドとして効果的だと思いました。そう考えるなら、同じ効果を狙って他のメディア、とりわけ映像を用いるたくさんの例が思い浮かぶのですが、なぜ文字や図形を用いられたのですか?そして、なぜ手書きで、タイプライターなどにしなかったのですか?

P: 一つには、私が人が手を動かしたりして働くことの力を信じているからです。人間にとって実際に体を動かすことは重要です。働き学ぶ中で変わってゆくことが重要なのです。もう一つ。もし映像をとなると、コンピューターやプロジェクターという未来を示唆する機器を用いることになる。でもこの作品は過去に関するものです。その意味でタイプライターも面白いと思ったのですが、時代との結びつきに関しては限定されすぎていて、現在もカバーしていません。もっと長い時間の広がりを孕むものが必要だったんです。シンボルを用いたのも同様で、一例として、始めに書かれた3つの三角のうち最後は「芸術(技芸)」を表していました。これは私にはピラミッドのように見える。ピラミッドは古代の芸術であり建築物です。そしてピラミッドの内部の至る所に、人類はごく初期から様々なシンボル(象形文字)を描いていました。そしてそれらが言語になった。こういったことが構想にあったんです。

+視線のガイドという点にこだわるなら、ダンスを見る目の慣習を取り除きたいという思いもあるのではないでしょうか。もし仮にこのシーンがなければ、タイ出身ではないダンサーがテパノンを表すこの作品は、どのように受けとめられたとお思いですか?

P: 冒頭のシーンについていえば、観客に、彼らが何を期待しているかを突きつけるということは考えています。これはとにかくダンスですよ。ピチェはダンサーですよ。ならば彼らは踊りを待ち構えているでしょう。けれども彼らが期待するものを与えようとは思っていません。なんらかの公演を見るときは、だいたい何が行われるかを予め知っていますよね。そこで、「ちゃんとついてきてね。ちゃんと見ててね。」ということを言っているのです。
さらにいえば、観客には、作品をなす諸々の考えを提供したいと思っています。座っている観客がすべてを結びつけてゆけるように。これは作品が過去の思想を扱っていることとも関係していて、巨匠と言われる人々は、生と自然を結びつけて芸術を作り上げたんです。だから、どうしたら今日、それらの要素が一般の人々の中で結びつくことができるかを、私たちは理解する必要があるんです。

+なるほど。もう一つ興味深かったのは、最初に書かれた3つの三角が、それぞれ「nature自然」、「life生活」、「art芸術」を意味していたことです。それで思い出したのは、西洋では19世紀末までに、世界を把握する手段が、自然科学と人文科学に分かれ、文系はさらに哲学/倫理学と感性学/芸術史に専門分化されて、それぞれの研究対象が「自然」、「生」、「芸術」なんです。こういった対応は念頭にありました?

P:いや、それは考えていませんでした。でも、こういった思想はどこの文化にも属する事柄だと思われます。この世界に属していることですから。これらのシンボルを見せて、いろんな国から来た人に考えを聞いてみましたが、その結果それらが様々な文化において重要な意味を持っていることがわかりました。

+確かに。もう一つ重ねて言えば、モダンダンスの出現に先立ち、これら専門分化が問題となったとき、人間の身体、とりわけダンサーの身体が分岐した知を総合するという思想がありました。この三要素を結びつける思想の点でも、「テパノン」は共通しますね。

P:そういった共通点について、私はこう考えています。西洋と東洋の芸術は、全く反対側から出発し、お互いに近づきつつあると。東洋では芸術家は寺社の教えから始めて神を表すものでした。だから自然と生活に属していて、そこから芸術を生み出した。でも西洋では違っていて、おそらく王権や娯楽を表して来た。そのためにはショウのような技術が必要です。そこから芸術家は徐々に自分自身を表現するようになり、自らの思想で芸術と自然と生との結びつきを生み出そうとする。でもアジアでは、今ダンスをテクニックにしようとしているんです。お互いにこんな具合に近づいているんですね。というのは、アジアでは旧い文化を信じず、古典を退屈なものにしているから。「やれやれ、古典なんてつまらない。テクニックもないし時代遅れで…。」大間違い!だからこそこんな作品を作ったんです。自身の文化に戻って分析しながら捉え直して、と。さらにモダンダンスの出現に関して言えば、彼らがどれほどアジアから借用したことか。日本の文化にインドネシアの舞踊…瞑想に関心を持ったり。考えるといつも笑ってしまいますね。

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