日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物 |
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+なるほど。アジアのダンスが宗教から発しているので、分析へという考え方はわかります。でも、西洋的な目で見てしまうと、タイの古典舞踊はすでに娯楽として成立している部分もあるのでは?タイのダンスの現在の状況について教えてください。
P: 娯楽というのは違っていて…実際は二つの側面があるんです。王権と結びついたもの、公衆のためのもの。それにダンスといっても様々で、前者は宮廷舞踊に由来するコーン舞踊。後者は王家のために女性が踊ったものと、民衆のためのダンスといった風に…。
+では、その公衆のためのダンスについて。一般の人々はダンスとどんな関係を結んでいるのでしょうか。踊ったり、あるいは週末に鑑賞したりして楽しんでいるのですか?ダンスが社会の中でどんなものとしてあるのかというと?
P: う〜ん…普通は公衆のためのダンスはフォークダンスと呼んでいるんだけど、すごくたくさんあるんだよね。それらを説明するのは…。それにダンスって言っても、演劇に含まれているので。タイでは踊りだけ独立してあるんじゃなくて、演劇や歌と結びついているんです。動きの元にある思想は宮廷に由来するということは言えるけど。
+説明していただいた中で、ピチェさんの踊りはコーンという宮廷舞踊にもとづいているんですよね。今の説明では、王権を表す…
P:大昔の話ね。
+それで今は、古典舞踊の改革者、かつコンテンポラリー・ダンスの作家として、宮廷に由来する伝統を用いて…現代の民衆にその思想を示そうとするときに難しい事はありますか?
P: わかりました。分けましょう。元の物語は王権を表しています。けれどもラーマ7世が即位して後は、コーンは王家ではなく政府のものになりました。私たちの社会は変わったんです。そこで考えたのは、物語と動きを分けて考えることです。動きやそのためのテクニックはコーンを用いますが、動きの中で表される思想は現代のものです。コーンの帰属が変わったとき、社会が変わり現在に至っているのですから、それが関係する時代を混ぜ合わせることができると考えます。わたしたちは、望めばコーンをもっと理解することができるんです。タイの人々はあらゆるコーンのムーウ゛メントの背景を共有しているのですから。物語だって知っています。でも動きそのものは思想を持たないものとなりました。だから動きの意味を再び人々に与えようというのが私の仕事です。でもこの意味は、200年前のものではありませんよ。現代の意味なんです。
+ということは、この作品を見ても思ったのですが、これは日本で制作の機会を与えられたにも関わらず、タイの人に見てほしい作品なんですね。
P: そう。可能であればタイでも公演をしたいと思っています。無理でもタイで私のダンサーを使って上演すると思います。
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※チラシ用にいただいたポートレート写真です。どういう場面なのでしょうね?
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+この作品は、日本のダンサーや観客にとっても大事なメッセージを含んでいるように受けとめられます。日本の舞台舞踊は長らく西洋の舞踊史を参照してきたのですが、現在その影響が弱まって、進歩の歴史は終わったということで何を引用してもいい。そんな中で、作品を作り出したダンサーたちは、以前の世代がやったことと向き合う機会を奪われているような気がしています。そこで、『テパノン』の終わりに「歴史を学ばねばならない」という一文があるのですが、この「歴史」にはどんな意味が込められているのでしょうか。おそらく「歴史」を持ち出してくるときの背景も違うと思うので。
P:私たちがアジアのダンスについて語るとき、「これが、"ザ・古典"」というような説明をしますよね。そして「古典」という言葉自体に時代遅れという響きもある。わたしが考えるのは、そういった"古典"じゃないんです。クラシック、モダン、コンテンポラリー…そういったもので、ものに名前を貼っていってるだけですよね。「これはペンです。これはカップです。」と言っているようなものです。そんなんじゃない。私はプロセスを探しているんです。このダンスがどんな風に生み出され、社会に作用したかという。そういったプロセスに向かうことが必要だと思っています。だから、"ザ・古典"に行くのではなく、それらのプロセスを見つけなさいと。もしそれができたら、そこには過去/現代/未来といった区分はありませんよ。プロセスは"今"であって、それ自身なんです。
+ものを作る人にはとても重要なお話です。しつこいですが、ダンサーは実践でこのプロセスにアクセスできるとして、観客にこのプロセスを体験させることについてはどうお考えですか?
P: ダンサーが1ヶ月、2ヶ月を練習に費やしても、人々は1時間しか見に来ないんです。だからコンセプトを与えることや教化といったことも考えはします。でも作品を100%理解するなんてあり得ないんです。「タイのダンスで、テパノンというものです。こういった関連がありますね…」といったところが関の山。でも、なにがしかは理解してくれるでしょう。私はそれで満足です。
で、この作品は、アジアとアジアのダンサーを想定しているのですが、アジアのダンサーは大昔にさかのぼって思想を持ち帰ることができる。というのはここでは時間がモダン、ポスト・モダン、コンテンポラリーといった風に(先行世代が否定されてゆくように)は流れていないからです。そうなったら西洋化したということなのかも知れませんが、その必要はない。私たちは常にプロセスの中にあり、作品をつくり続ける。なぜこんなことを考えるかっていうと、私たちはそれぞれ違う存在ですよね。でも自身の作品を作っていれば流行は関係ないんです。例えば、あちこちで公演をしているといろいろ言われます。「この作品のあなたは好きです。」「この作品はいい。」「これは好きじゃない」…云々。みんなばらばらなことを言うんだから、そんなの聞いてたら死にますね。しょっちゅう作品を作り替えなくちゃならない。だから自分が何をやっていて、何を見せているのかわかっていなくちゃという話なんです。今風なんて感覚は「あら!」といった一瞬の驚きで、現れては消えるんです。そんなところで活動したくはありません。さて、タイで作品を作ると、「これはコンテンポラリー」とか「古典」とかきっちり言ってやらなくてはならない。ジャーナリストにとっては重要ですからね。分析するのに必要なんですよ。だから私は言うんです。「知らない。私の作品であることは確かだけど、それが何かなんてね。」
+なるほど。それで思い出されるのが、私はいつも目の前のダンスをなんでこんな風に見るのかって考えるんだけど、時々、その見方が、たかだか100年前に限られた地域で生み出された歴史に影響されていると、改めて気づくということです。その考えを相対化しようとはしてきたのですが。このことにはよい面悪い面があるのですが。
P: オーケー。
+もう一つ、歴史的なプロセスにアプローチする時の出発点に関する質問ですが、個人的に、個体individuumの身体から始めて歴史なりなんなりに到達している作品は信じられるかなと感じています。例えば、アジア・ダンス会議の國吉和子さんのレクチャーでお聞きになったように、舞踏の創始者、土方巽は、自身の身体を深く探って行った結果として、一般には日本的なものの表現とみなされている文化的な層にたどり着いたというのが彼女の主張なんです。この「個人の身体」という出発点は、コンテンポラリー・ダンスの領域で共有されているように思うのですが…
P: 全くそのとおり。大事なことです。
+けれども、わたしたちの文化は、本当の意味での個人主義を持たなかったと一般に言われているんです。西洋のモダンダンスを受容した後でも、個人主義という出発点が共有されていたわけではなかった。だいたい踊りを始めるのは、流派とか共同体に根ざしたお稽古ごとからです。でも90年代以降は、そういった共同体や帰属から全く切り離された若いダンサーがたくさん出てきているように思えるんです。そこで質問したいのは、タイに個人主義みたいなものがあるようには想像できないのですが、ピチェさん自身は、古典出身で、なぜそういった個人のリサーチやクリエーションを始められたのかお聞きしても?そこには共同体を離れるといった意識はあるのでしょうか?
P: まあ。わたしのやっていることが個人の試みに見えるなら、古典の集団とは違っているということは言えるかもしれませんね。でも私は社会には属しているんです。帰属するものが違うんですね。古典の集団は社会から離れてしまっているけれども、私はつながっていたいんです。一例として、古典の流派の中には、200年前のままを残しておきたいということでいかなる変化も許さない人がいたりします。でも、考えてもみてください。200年前といったら、劇場じゃなくて、宮廷で王様の前で上演されていたんですよ。でも今や私たちは劇場で踊っているんです。照明も使えばカラフルに彩りもする…真正性を騙ったフェイクです。その違いに気づかないだけで、実際は全然違うことをやっているのですが。
+いろいろと突っ込んだお話を、ありがとうございました。ディレクターの大谷さんもおっしゃったように、この作品が継続したプロジェクトとなり、さまざまな地域で公演されることを切に願っています。
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