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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年4月号「踊りに行くぜvol.8 SPECIAL IN OSAKA」



制作者インタビュー(2) 小倉由佳子
■ ロストジェネレーションと制作とコンテンポラリーダンス?

メガネ:制作についてもう一つ不思議なのは、大学にできたアーツマネジメント学科なるものの卒業生が、制作の道を歩んでいるのかということ。身の回りで知らないので。

小倉:少しずつ出て来てらっしゃると思うんですけどね。最近、考えるんですけど、コンテンポラリーダンスと制作、アートマネジメントの歩み方って、なんか似ている、共にあるなと。例えば私は1976年生まれで、ダンスでは白井剛さん、黒田育世さんなどが同級生。制作の人にも同世代が多いです。世代だけで分けるわけではないですが、私の感覚では、上の世代の価値観にギリギリひっついている世代かと。もちろん、年齢的に下の世代からもアーティストや制作の人はいっぱい出てきてはいるんですけれども、私たちくらいがあるひとつの区切りの気がしているんですよ。コンテンポラリーダンスの人気が出始めて、いろんなアーティストが注目されて、今、どうなんだろう、一時よりどんどん次々新しいアーティストが出てくるという状況ではなくなったと思うんですよね。それとともに、私たちの下の世代で、制作になりたいという人とか、コンテンポラリーダンスに興味があるという人って、減って来ている、もしかして、もういなくなるんじゃないかなというような気持ちさえもあります。だからこそ、私たちがしっかりしないといけないんですが。

 別に、世の中を分析するわけじゃないんですけれど、今もう就職できるし、すると思うんですよね、やっぱり。もちろん、そうじゃない場合もあると思うんですが。私たちの時って、就職できなくてもしなくてもそれがほとんどだったし、いい意味でも悪い意味でもふわふわ出来ていたんですよね。批判っていう意味も込めて。今のダンスのある側面を考えると、わりとそういう状況が作ったという部分もあるのでは? と、すごく大げさになるんですけど・・・そんな気がしてます。

 “Take a chance project”でアイホールと共同製作で作品を作っている杉原邦生さんのような下の世代の演出家と話していると、もう全く価値観? なんか感覚が全然違うんですよね。それが面白いんですけど。杉原さんは演劇の演出家ではありますが、今20代前半くらいのあの世代からは、80年代からのコンテンポラリーダンスの流れが出てきたみたいに、また、全く違う流れのものが出てくるんじゃないかなという気がしてるんですよね。それは、今「コンテンポラリーダンス」って呼んでいるものとは違うんだろうな。すごく楽しみなんですが、私、ついていけるかな? という危機感もあります。自分の関わった公演、やっていることの感想を、彼らに聞くのが一番どきどきします。どう感じているのかなって。

 だから、なんで今、神澤さんみたいな若い人が制作とかに興味があるのかな? というところに逆に興味があるんですよね(笑)。

神澤:逆インタビュー(笑)。実は私も先におっしゃったIMIの後輩で、花光先生の授業にも出ていました。そこで一つには、アートを使ったワークショップなどをしたプロジェクトに参加したことが入り口になっているんです。『未来の学校』っていう子ども向けのプログラムで、この人を連れてくるから、ここを場所として使うから、そういった要素から何かを創り出していくこと。そして子どもたちが喜ぶようなことを考え出すっていうのが面白いって思ってしまったんです。もう一つは、花光先生が、ダンスは特別な人が作るものでもなく、その人その人なりの動きがあるし、表現することがあるっていう感じのことを言われたことがあって、そうなんだって新しい観点に気づけたということもあります。それまでは、ダンスっていったら音楽とか振りとか、こうしなあかんのやってものがあって、それ専用に鍛えたカラダを持った人がやることだと思っていたので。

小倉:ふたつありましたね。場を作ることの面白さと、表現に興味があるってことと。

メガネ:去年の神戸ビエンナーレで、野外にダンサーを集めた神澤さんの自主企画は、場所に人を引き込んでゆくかたちでしたね。

神澤:私自身で言えば表現にも興味はあるのですが、自分が楽しむだけだとやっぱりダメなので、それを観てもらうには、感じてもらうにはどうするかと考えていたら、そういう場所作りにつながっていますね。

小倉:例えば劇場に勤めたいとか、職業にしたいといった気持ちはあまりないんですか?

神澤:もちろん職業に出来たらというのはあります。可能だったら、例えばココで何かをと思い立ったときに、それに向けてお金なり人なりモノなりを集めてくるようなやり方の制作をしたいので、それが職業として成立したらそれはいいと思うんですけれど。さすがにそれは難しいので、勉強という意味でも劇場などの機関にちゃんと就職することも考えてはいます。それまではふらふらと? 自由に? 呼ばれたり、面白そうだったりしたら、いろいろな現場を見たいので行っちゃうっていう感じです。

小倉:制作志望の人、減ってきましたよね。なんかもっと周りにいたような気がするんですけどね。私の周りにいないだけなのかな。

神澤:それはやっぱり、職業として厳しいからなんでしょうか。やり甲斐がないっていうか、環境として厳しいというか。

小倉:なんでなんでしょうね? 手伝いたいと言ってくれる人は結構いるんですけど、これを「職業にしていきたいんです」みたいなことをいう人は少なくなった気もしますね。

■ フリーの制作になってみて

神澤:アイホールを退職してフリーになられたきっかけは?

小倉:今考えると浅はかですが…、ひとつには、「一通りのことをやったかな?」という気持ちになっていたことがあります。あくまで、プロデューサーの下で企画をまわす、アイホールという中規模の劇場という範囲での話ですけど。お給料や待遇に関してのことも、もちろんありました。さらに劇場で働くことの制約も感じていました。それは時間的な拘束も、内容面でも。ダンスだけでなく音楽や劇団、カンパニーにつく制作など、他のこともやりたいと思っていました。そのあたりで、ちょっと劇場から離れて自由になりたい気持ちがあったんですね。ダンス企画に関しては、志賀さんの下で刺激的だし、勉強になるので続けたいけどと思いつつ…。それで相談したら、基本的にフリーランスの制作で、アイホールではプロデューサーアシスタントという形で、企画ごとに外部制作スタッフとしてつくという働き方を提案していただき、「それは理想的!」と。本当に、志賀さんのご配慮には感謝しています。

神澤:実際、お仕事環境としてはどうでしたか。

小倉:楽というか(笑)、自由に動ける部分は広がりました。それは、単純に打ち合せの場所選びから、働く時間の決め方から、公演の場所だって、自由に決められますから。また、ダンスや演劇じゃなくてもいいわけですよね。そんなところでの自由は、フリーで制作をする利点だと思います。

神澤:フリーになることで、何もかもお1人に?

小倉:基本は1人なんですけれども、人と組むこともあります。例えば、今やっているLinksという企画は、京都造形芸術大学の舞台芸術研究センターにいた森真理子さんと一緒にやっています。あと、演劇のマレビトの会では、橋本裕介さん、同じく森真理子さんと協力するかたちでした。


 
  マレビトの会『cryptograph』京都/アトリエ劇研photo:Hiroto Takezaki
 
神澤:今、拠点にされているのは、京都ですか? 関東とか、別のところに行ったりは?

小倉:今は、アイホール以外は京都が多いです。関西のカンパニーが東京公演をする場合に、それについていくということはありますが。機会があれば、関東での仕事も受けたいですが、制作はその場にいないとできないので、なかなか難しいですよね。実際に東京に行った頃は、多少なりとも憧れはありましたが、アイホールの仕事を経て、そういう意識はなくなりました。もちろん、アーティストの絶対的数は東京の方が多いとか、見たい作品が東京でしか見られないということはありますけれど。

 差ではなく距離と考えるなら、可能性もありますよね。あるアーティストが、東京だと「ちょっと実験」と思っても、お客さんがわっと来ちゃったり、評論家の人達に大仰に取り上げられたり。まあ嬉しいことなんですけれど、おいそれと実験も出来ないと言われていたことがあって。だから、東京から離れたところで、多少思い切ったことをやってみようかなと思ってもらえるのであれば、そこは得なんじゃないかとも思っています。

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