<けったいな縁>で大阪に居ついてしまった<ぶち>が、心に映ったつれづれを独り言。 |
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+ 石淵文榮
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ライター
筑波大学芸術専門学群美術専攻彫塑コース卒。大槻文藏事務所、(財)大槻清韻会能楽堂企画室を経て、現在、新聞・雑誌等に、主に能楽に関する記事を執筆。文化庁インターンシップ・アートマネジメント平成12年度研修生。 |
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「サイアク…予想どおりやな」
4月26日にオンエアされた某報道番組を見ながら深い溜息。
「文化は誰のもの?」と題して、大阪市など幾つかの自治体の文化事業が取り上げられた30分の番組。
Coco de Noh(ココデノウ)にも取材が入って、その映像が使われるというので見ていたのですが…。
私の独り言をご覧いただいている方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、ここではっきり言わせてください!
番組の中で「伝芸をコンピュータグラフィックスを使ってわかりやすく説明する」云々というようなコメントがありましたが、Coco de Nohは、そういう趣旨の催しではありません!!!
結果として、身近に感じていただけたかもしれませんが、「説明」などとは程遠い企画です。
それは、Coco de Nohの告知や報告の中で繰り返し述べてきました。
レクチャーとか何々講座じゃないんです!
ワークショップとも違うんです!
そして、決して、「わかりやすく説明」するために、あのコンピュータ映像を使ったのでもありません!
Coco de Nohの第二夜では、片山清司さんと立命館大学のアートリサーチセンターの共同プロジェクトであるモーションキャプチャのデータ映像を見ていただいたのですが、私がその映像をお客様に見ていただきたいと思った理由は、(1)映像作品ではなく、あくまでデータではあるけれども、映像として純粋に面白いこと。(2)衣服を着ていたのではわからない、高い技術を身につけた演者のすごさが理屈や言葉でなく伝わるから。
このことは、再三、取材ディレクターにも言いました。
オンエアの数日前に入った電話でも、取材ディレクターからコンピュータ映像の使用意図の確認を受けたので、「わかりやすく説明したり親しみを持ってもらうために使ったのではない」と、繰り返し言ったのです。
ま、最初から聞いちゃぁいませんわ。
おそらく、取材者にとって必要なのは、「確認した」という自分の行為だけであって、内容はどうでもいいのでしょう。
よくあることです。
というより、今までも、ニュース番組の取材を受けた場合には、100%痛い目に会ってきました。
私自身が取材を受けたものだけでなく、他の場合でも、私が知る範囲では、能に関するニュースのコメントで納得できるものは一つもありませんし、どちらかと言うと、著しく迷惑を蒙るケースが多いのです。
ほぼ、最初から取材者の頭には台本が出来上がっていて、そこに、取材対象のコメントなり映像なりを当てはめているだけなんでしょう。
だから、出来上がったものに新しい発見などありません。
取材者の先入観と浅はかな見解の範囲を出ないものでしかありません。
ただでさえ修羅場と化している催し数日前、はじめて話をする相手に、いきなり電話で長時間、能についてのレクチャーをさせられることも、よくあることです。
それは我慢しましょう。
ですが、ジャーナリストとして、最低限のことは自分で調べてから聞いてほしいものです。
どこの本屋でも売っているガイドブックくらいには一とおり目を通してから話をしましょうよ。
いや、報道やってるなら、資料室ちゅうもんがあるでしょうがっ。
でないとね、能に関する基礎知識、しかも、質問されたこちらがビックリするくらい極めて初歩的なものをレクチャーするのに終始して、大切な話の核心にたどりつけないんですよ。
はっきり言って、怠慢すぎて取材相手に対して失礼です。
確かに、知らないことはどんな些細なことでも一々質問してくださるほうが却って有難いということはあります。
でも、「知らない」というのにも程度があります。
アメリカに行って「英語がわからないんで、単語から教えてください」って平気で言っているような取材は、取材ではなく、本人の勉強の範囲でしょう。
教えるのが面倒だから言っているのではないんです。
話すべきことをきちんと話したいから、最低限の単語だけは理解して取材に来てくださいと言いたいのです。
そんなこんなで、取材態度から結果を予想して、かなり予防線を張ったつもりでしたが、全然効果はありませんでした。
だって、聞いちゃぁいないんですもん。
Coco de Nohの当日、カメラの位置を制限して固定してもらい、カメラ用のライティングも一切断った意味を、私は「今、言葉で説明してもおわかりいただけないと思いますから、あなたもちゃんと最後まで見てください。そうすれば、なぜそうしていただかなくてはならないか、おわかりいただけるはずです」と言いました。
それでも、「この催しを全国の方に知っていただきたいから」などと食い下がる取材者に、「これは取材されるための催しではなく、今日ここにお集まりいただいたお客様と我々のための催しです。取材が入ったために特別に何かをすることは絶対にありません」と言いました。
催しの後、「石淵さんのおっしゃったことがわかったような気がします」と言ってくれたのに…。
言葉を使って人に何かを伝える仕事をするならば、新しい発見を言葉にする喜びを、その使命を、めまぐるしく大量に流れてゆく情報の中にあっても、見失ってはいけないのだと、こういう経験をするたびに思うのです。
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