ところで、Coco de Nohって。
cocoroomで能をやるから<Coco
de Noh>。
といっても、狭い空間だから本格的な能を上演するのではない。
3回とも、やることも形式も出演者も、全部違う。
能を上演するわけではないけれど、レクチャーをするわけでもなく、ワークショップでもない。
それじゃ何をするん?というとですね…。
まず、能のエッセンスを集中して味わってほしいということ。
そして、役者の<肉声>を聴いてほしいということ。
わざわざ<肉声>と言っているのは、<芸>と<人>、その両方を生(ナマ)で、しかも至近距離で感じてほしいからだ。
能を見るなら、一番良いのは能楽堂だ(能楽堂で見る能がすべて良いという意味ではない)。
能楽堂の歴史は、たかだか100年ほどにすぎない。
それは、600年以上にも及ぶ能の歴史から比べれば新しいものだが、現代の能の演技は、能楽堂の中に入った能舞台という空間の中でより活かされるように工夫されてきた。
観客が、演者の面の微妙な使い方や、じっと佇んでいる姿から発せられる空気の波動を受けとめようと思えば、千人規模の劇場では到底無理なのだ。
演者と観客の関係は、極端に言うと、対面してお互いの気を感じるようなところまでいきたい、と思う。
それが、私の理想だ。
能楽堂で能を観る時に、「気軽に楽しんで」なんて言いたくない。
演者も観客もスタッフも一つになって<座>を組んで、同じ空間、同じ時間を共有してこそ、深い感動が生れる。
かと言って、私が能に求めているものは、能舞台だからといって無条件に成立するものではない。
能の体現者である役者が、私たちの心に何を伝えようとしているかが肝要だ。
ただ、舞台を観ただけでそれを捕らまえることが出来るようになるには時間がかかるし、第一、素晴らしい出来の舞台にお目にかかるなんて、そうそうあることではない。
名手名人を集めた舞台であっても、グレードの良さ、技術点については一定レベル以上が確実でも、芸術点、つまり、その日の舞台が良いかどうかなんて、やってみなければわからない。
だから、能の魅力を知ってもらうために、単純に能楽堂に誘うのにもためらいがある。
ほな、どうすればええのん?
講座っていうのも勉強モードで堅苦しいし、ワークショップもいいけど、それより先に、能の<芸>というのはどういうものか、少しでも肌で感じてほしい。
それなら能のパーツを取り出してやってみよう。
できるだけシンプルな形で、そして、能の魅力がぎゅっと詰まったものを少しだけ。
でもって、その役者が何を考えてやっているか、素の声も届けたい。
たとえば、2月6日の回。
掛け声や音色の美しさと思いきりの良い間合いの成田達志。
いろいろな記事で繰り返し言っているように、今、最も注目されている小鼓方である。
小鼓という、日本の気候風土が育てた不思議な楽器の面白さを堪能してほしい。
ゲストの浦田保親の謡とのカップリングも楽しみ。
2月20日は、片山清司がメイン。
彼は、立命館大学のアートリサーチセンターと協力して、能の絵本を制作している。
その仕事は、絵本という媒体を使って、子供たちに能の世界に親しんでもらおうということもあるだろうが、それよりも「能は<語り芸>である」という考え方の延長線上にあるものだと思う。
能で語られているテーマを如何に簡潔な言葉で表現して一つの物語としてまとめあげるか…絵本を作る過程は、能役者としての彼にとって大きな意義があるだろう。
<語り芸>としての能の魅力を味わってもらうべく、狂言方の小笠原匡の<アイ語リ>もある。
それと、この回はもう一つ、同じくアートリサーチセンターとのプロジェクトである、<モーションキャプチャー>による役者の動きの記録映像も公開する。
これは、かなり面白い映像だから乞うご期待。
3月5日は、能面について味方玄が語る。
彼の能面に対する目は、能面師も舌を巻くほどらしい。
その目が選んだ能面を間近でご覧いただこう。
ゲストは弟の味方團。
縒り合わさる声、息づかいを味わいたい。
毎回やり方を変えるが、基本的にはトークとライヴパフォーマンス、そして、その
あと、お客さんもみんな一緒になっておしゃべり。
ま、打上げをお客さん込みでやるみたいなものだ。打上げになると、役者はどんど
ん舞台への情熱を語り出す。
同じ空間を共有した者どうしのお祭みたいなもので、それは芸能の原点でもある。
だから、楽しいにきまってる。
だけど、こういう催しって、コソッとやる場合が多いのだ。
「今度こんなんするねん」と知り合いの若手役者に話すと「僕も行きたい!」と羨ましがられた。
ひょっとしたら、いや、たぶん、彼は当日、飛び入り参加するだろう。
他にも隠し趣向はいっぱいある。
能のパーツってめっちゃ面白いから遊びに来てみ〜。
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