<けったいな縁>で大阪に居ついてしまった<ぶち>が、心に映ったつれづれを独り言。
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+ 石淵文榮
ライター
筑波大学芸術専門学群美術専攻彫塑コース卒。大槻文藏事務所、(財)大槻清韻会能楽堂企画室を経て、現在、新聞・雑誌等に、主に能楽に関する記事を執筆。文化庁インターンシップ・アートマネジメント平成12年度研修生。
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ごあいさつがわりに
失われゆくものvol.1
失われゆくものvol.2
失われゆくものvol.3“聖域”(1)
失われゆくものvol.4“聖域”(2)
失われゆくものvol.5“聖域”(3)
ちょっとお休み『安宅』
高野山と能と私vol.1
高野山と能と私vol.2
ぶちの独り言へようこそ...
穀雨
うまいもんはうまい
ぶちの独り言をのぞい...
花形能舞台〜宴のあと〜
秋に想うつれづれ
いまだに深まらない秋に想うつれづれ
さぶっ
『道成寺』、あれやこれや その1
ところで、Coco de Nohって。
なんで<料理人>なん?
『道成寺』…のつづきのつもりが
食べてみるべし!されば道は拓かれん…
取材された側の言い分
基本は「愛」でしょ
桂米朝×竹内駒香vol.1 憧れの人と会う嬉しさ
桂米朝×竹内駒香vol.2百歳の人間国宝の話
桂米朝×竹内駒香vol.3 やっぱりお酒
役者の幕引き
年頭のごあいさつ
Coco de NohとBridge Noh
桂米朝×竹内駒香vol.2百歳の人間国宝の話
お約束どおり、
対談
のつづきをお楽しみいただこう。
さて、身体を大事に、という話から、先年亡くなられた清元志寿太夫さんの食養生の話になった。
志寿太夫さんは、粋で洒脱な美声で、多くのファンを魅了し、その確かな技術は歌舞伎俳優からも絶大なる信頼を置かれていた浄瑠璃清元節の人間国宝。小さな身体だったが、百歳で亡くなられるまで現役を続けられた、まさに<小さな巨人>。
駒香姐さん(以下、お姐さん)
「志寿大夫さんは、食べもんで養生なさってたですなあ。ちりめんじゃこと、だいこ(大根)と…」
米朝師匠(以下、師匠)
「とにかく、外国へ行かはる時も、<だいこおろし>の道具持って行かはるんやろね。いやぁ、<だいこおろし>の<じゃこ>というものはええもんでっせ。私も、うちの内弟子が、今日何もないいうたら、あれ、やっといたら私が怒らへんさかいに(笑)」
お姐さん
「はははは(笑)」
師匠
「いやぁ、ほんまに、あれは、身体にもええし、味もええし」
お姐さん
「よろしいなあ。飽きまへんもんな」
師匠
「へえ。特に夏の大根は辛いさかいええわ」
———この頃、辛い大根が少ないですねえ。
師匠
「そうでんなあ」
お姐さん
「もうほんまに、おかずなかったら、大根食べたなるわねえ」
さて、目の前には伊勢海老のお造りが…。
師匠
「この、伊勢海老というのはね、英語ではどない言うか忘れてしもたけど、これ、どこで獲れても伊勢海老ですわ」
——— 面白いですねえ。
師匠
「仙台湾で獲れようがやねえ(笑)、富山湾で獲れようが(笑)、伊勢海老やこれが(笑)」
——— 伊勢やないのに(笑)。
師匠
「伊勢(のブランド)で、あっちこっちで売ってしもたんでしょうな。腰が曲がるほど長生きするとかなんとか言うて」
——— お祝いの時は伊勢海老が出ますもんね。
師匠
「さいな。『えび』という、今、唄われてないらしいけど、地唄があるんですな」
お姐さん
「『えび』でっか。そうでんなあ」
師匠
「なんかめでたい地唄や言うて。この頃ちょっとも唄われへんけど、'目まで飛び出てお目出たや'とかなんとかいう文句や(笑)。'海老は幼少にして髭長く、目まで飛び出て…'地唄の本には載ってんねけどね。…あっ、一番最初は地唄のお稽古から始めはったんですか?」
お姐さん
「いいえ、あの、だいたいは長唄から常磐津まで全部、一応は習いますねんけどね。地唄いうのが一番難しおます」
師匠
「そうでんな」
お姐さん
「いまだに難しおますもんなぁ」
師匠
「はぁ、いろんな(ジャンルの邦楽の)古いおっしょはん連中が、<法師唄>なんか言うたんですな」
お姐さん
「昔はねえ、目々が見えんお方が唄うてたさかい」
師匠
「法師唄から始めた人は、あとが楽や言うてね。あとで長唄やろが何やろがやね。そら、あの、菊原初子さんの小さい時にね、お父さんの代。日本国中からね、目の見えん人が、三、四十人内弟子にいてはったそうです、多い時は」
——— へぇ!
菊原初子さんは、大阪・船場の生まれ。平成13(2001)年に、102歳で亡くなられた地唄 の人間国宝。父の琴治さんが、谷崎潤一郎に三味線を教えていた関係から、『春琴抄』の主人公<春琴>のモデルになった。
師匠
「これが女ばっかりですわ」
お姐さん
「ああ、そうですわなあ」
師匠
「それがお互いに助け合うて暮してまんねやけどな。それが、米を洗うて炊くのもみな、目の見えん人がやりまんねやて」
お姐さん
「ほうでっか」
師匠
「それ以上のことはでけへんのやけどね。とにかく、米を洗うて仕掛けて炊くところまでは、目ぇ見えん人がやりはる」
お姐さん
「やりはりまんの。やっぱ勘でんな」
師匠
「それからね、夏でも冬でもか知らんけどね、二階のどっからか、寒稽古かなんか、夜中か朝明け方かに、わーーーーーーって、こう、練習するんやて。二十人ほど並んで。ほな向かいの家が、どうしてもすぐ宿替え(=引越し)してまうねん(笑)」
——— はははははは(笑)。
師匠
「(笑)ほいでな、なんでこない(向かいの家が)宿替えするんや思たところが、'あんたとこがいかんのや!'言うて(笑)。おおーきな声で、朝早う、東が白んだ頃からやりだすさかいに(笑)」
お姐さん
「なるほどね」
師匠
「それでみな、かなんけど(=敵わないけど=困るけど)、目の不自由な人やし、文句もやっぱり、言いにくい。ほいで宿替えすんねやて(笑)」
——— 今やったらすぐ文句言うけど。
師匠
「ほうやがな」
——— そやけど、みな目が見えんかったら、引っ越したことはわかれへんのとちがいますか。
師匠
「そら、すぐにはわかれへん。せやから、二、三日たったらわかるんやな」
師匠
「そやけど、あの、初子はんというおっしょはんも、百になっても記憶は確かでしたあ」
お姐さん
「ええ」
師匠
「昔話、何回か対談をさしてもうたけどね、もう、よう憶えたはるわ。ただね、巡航船の値段だけね、憶えてはれへなんだ」
お姐さん
「ほう」
師匠
「雨が降ったら、学校行くのに船に乗してもらわはったん。ちょっとだけやけどね。それが嬉しいて。雨が降ったら、'いやー今日も船に乗れる巡航船に乗れる言うて嬉しかった'て。巡航船、なんぼや言うたら、'さあ……'言うてね(笑)」
お姐さん
「へえ…」
師匠
「ひょっしたら女中さんかなんか付いて来て、切符代払てくれたんかもわからんね」
——— 菊原先生は船場ですね。ということは、巡航船というのは、東横堀川かどっか…。
師匠
「そやろね。学校、遠回りになるんやけどね。というのが、体の弱い弱い子ぉでね、二十歳までは生きられん言うて。お医者はんもそない言うしね、八卦見(=占師)もそない言うたんやて。それで、もう私は若死にすると。で、親も、この子は若死にする言うて。せやからまあ、あんまり厳しいにせんといてやれ言うて。それが二十歳になっても死なんねん(笑)。ほんで二十五にねっても死ねへん(笑)。それで、こんな早よ死ぬ子、嫁にさしたら相手に悪い、迷惑やいうんでね、縁談みな断ってたんやと、親が」
——— はあ、そうやったんですか。そしたら、あのおっしょさんは結局生涯お独り…。
師匠
「独りやった」
お姐さん
「そうそう。処女よ」
師匠
「そうや」
お姐さん
「そやからな、私らと話しすんのもな、楽しいらしい」
師匠
「はあ、そやったやろなあ」
お姐さん
「新地の話をするとね。大きいおっしょさんが目々が悪いから手引きしてね、お稽古に来はったんです。新地の<浪花をどり>の<萬歳>の、ありまっしゃろ。あれが出たんでな、いっぺん地唄(の連中)で行こいうことで、私がまだちっさい(若い)時分やけどな、手引きして来はったら、綺麗やった…。若い時分、綺麗かったですな」
師匠
「そらそやわ…」
お姐さん
「ほんとのお素人さんの娘さんみたいにね。ほん上品なお方でしたからな」
師匠
「そうです…」
お姐さん
「そんなお方が、そんな話すると喜んでくれはりますねん」
師匠
「はぁ、はぁ、はぁ」
お姐さん
「ほな、だんだんお年召してくると、おんなじことなんべんも言いはりますねや。せやから、'はあそうでしたな'言うとくねや。それでも今、そういう受け答えする人がおまへんがな。今の若い子やったら、'そなもん聞いてますっ!'ゆいまんがな(笑)」
——— はははははは(笑)。
お姐さん
「そんなこと言うたらいかん。この前も聞いたけど、'ああそうでっかなあ'っちゅように言うと、はじめて言うたように思いはりますねんなあ」
師匠
「はぁ…」
お姐さん
「そうかて、ああ、やっぱりお年やな思たんですけどな。これ、言いたいこと言わしといてあげないかん思うから」
師匠
「ああ、ほんまに」
お姐さん
「ほで、'ああそうでしたかな。はあ、あんなことおましたがな'言うて無理にね、受け答えしたことおますわ。よう忘れませんわ、それは」
——— そういうふうに聞いてもうたら嬉しいから。
師匠
「そうそうそう」
お姐さん
「そいでな、稽古に行ったら'お茶出してあげや'言うてな、お茶出してお菓子出してくれはんねやわ。あんなん、稽古に行ったら(他所で)そんなもんしてもうたことないがな、私らな。そんでも、ちゃんとお菓子出して、ちゃんとしてくれはる。気づつない(=落ち着かない・気詰まり)ねんけどね」
——— そら喜んではったからですよね。
お姐さん
「うんうん。もうね、'私みたいな不肖の弟子が来てすんまへん'言うと、'いいえぇ、あんさんはそれでよろしおまんねや'言うて(笑)。船場言葉で言わはりまっしゃろ(笑)」
——— ほんま綺麗な言葉ですねえ。
お姐さん
「ほん…まに、やさしいんですやん」
師匠
「もう…、ほんとに…、あんな言葉、今、他所で聞かれへん」
大阪の言葉というと、他の地域ではずいぶん乱暴な言葉のイメージになってしまっている。 ちょっと丁寧な言葉遣いの関西弁をしゃべると、「京都の人ですか」と言われてしまう。塩川財務大臣のやんわりした言葉遣いのお蔭で、少しはイメージが変わっているかもしれないが…。
さて、
次回
は、東京での大阪弁の話から話がはずむ。
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