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パフォーマー
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会場
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公演日
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閉ざされた空間もまた永遠 |
平加屋吉右ヱ門 |
怖い劇。始まる前から私の心臓はドキドキしている。 「男」の視点から、すでに殺された女たち、そこへ到るまでの過去の出来事が語られる。事件が起こった後の登場人物たちの時間が、男の時間にモザイクのようにはめ込まれる。決して溶け込まないが、全体でひとつの空間と時間を作り上げ、離れてみれば一つの絵の様。いくつもの時間が同時に一つの舞台の上を進む。登場人物はギシギシと軋むパーツ。 ループする時間で描かれていることは、冒頭で観客には分かるのだが、公衆電話が鳴るたびに、観客も「その時」が来るのを予感し、見る側の気持ちまでもが「その時」へと向かっていく。次第に、まだ起こっていないことがすでに既知のことのように我々には、思われてくる。事件が起こることを忌避する気持ちと待つ気持ちが生み出されていく。 生きていながら、死んだ女、過去の時間と、残された家族の間をさまよう男。すべてが終わったところから描かれている。しかし登場する女たちはそれまで通り、何もなかったかのように、またはそれに気づくこともなくバス停で話し続ける。子供連れの女もベビーカーを推しながら道を歩く。この女が好きだったボロディンの「ペルシャの市場」が流れる商店街を、妻を殺された男がその場所をいとおしそうに眺める。その時だけ、すべて終わった後の何もない空間として存在する。 登場人物全てが、血を流しながら歩いているような怖さがある。その中で、そのものたちの日常が事件とは別の世界として描かれる。しかし次第に「その時」を目指して収束していく。ピカソが「泣く女」を前、横、上、下、等等、様々な表情を同じ一つの画面へと描くことで、真実の「泣く女」を表現したのが思い出される。たまたま、男の周りにいた者たちの人生と時間は、男の暮らしが特別であるのと同じように、それぞれが特別な生き方であり、他の誰とも同じではない「つらい」しかしどこか「滑稽な」その中で「しあわせな」世界が広がる。それは異様で、恐ろしい匂いを出しながら語られていくが、確かに日常に存在する風景がつづく。 閉じた時間と空間の中の人間たちは、何処にも行けず、そのループの中を永遠にまわるだけなのか。この中では「男」は肯定的にも否定的にも描かれない。
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