小堀:ここ数年、維新派の作品は、ストーリーが見えてたりとかキャラクターがはっきり見えてたりとか、セリフ芝居の部分があったりしましたけど、ヂャンヂャン☆オペラのシリーズとしてこの『nocturne』はどういう風に進化していく?
松本:うーん。本来は、セリフなしのヂャンヂャン☆オペラだけでストーリ進行していくのが一番ええんやろけどね・・・ただ、ミュージシャンに言わすとセリフっていうのが音楽的にはすごく新鮮だというわけ。セリフだけで喋ってたらすごい音楽やってるって言われる。「なるほどそうか」って俺も納得してね。だから、いわゆるセリフ劇っていうんじゃなくて、音楽のなかに、ポッとセリフだけのシーンを入れたら、それもアカペラっぽい、いいシーンになるんじゃないかな、という意識では使って行きたいと考えてる。
小堀:劇場でやるってことは、音楽的にも、いろいろなチャレンジができますよね。
松本:そうやねん。野外劇場は音楽の奴らにとってはかわいそうなところがあるんや。雨が降ったら楽器とか使われへんし・・・維新派は、音楽劇だから、今回は劇場空間を使って、音楽的なクオリティアップもはかりたいと思ってる。
せっかくオケピットとかあるんやしね。
小堀:もちろん、音楽は生演奏?
松本:うん。3人でやる。音をいろいろ派手に入れて、わーってやろかっていうアイディアもあってんけどね。なんせ、上の劇場が大オペラ劇場やからね、それとの対比で考えたら、もう3人ぐらいの方が面白いんちゃうかって・・・(笑)。
小堀:なるほど。
松本:1人ボーカリストが入るねん。まあ、ボーカリストといっても、擬音みたいなんを脈略なくガガガガっと叫んでいるようなタイプやけど・・・。今は、その3人で色んな音を出してサンプリングして、それをもとに音楽作っているところなんや。
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2001年/室生公演(奈良県)
『さかしま』ポスター
幽玄な奈良の山に切り開かれた、グラウンドにて。
写真は福永幸治氏。 |
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小堀:ホームグラウンド大阪・南港を離れてから、ここ2年間は、旅公演を続けてこられましたよね。今年、東京を選んだ理由は?
松本:奈良・室生村(01年『さかしま』)や岡山・犬島(02年『カンカラ』)での公演は、外部的な評価はさておき内部的にはすごくよかったと思っている。やっぱり場所が芝居を創ってくれるんよ。演技を創ってくれる。そこにはそこの演技論みたいなのが眠ってるのではないか?と思えるんや。それを開拓していくのが今、すごく楽しい行為に思えていて、あちこち行きたいと思っているわけ。それで、「今、維新派は場所を探してますよ」っていうのを発信する場所として、ひとまず、東京を選んだ。新国立劇場の人にもぶっちゃけて話をしたら、非常に協力的に「どんどん利用してください」と言うてもらえたしね。
小堀:劇場としての場所に求めてることは?
松本:歩行者の感覚でいうランドスケープ。客が舞台にたどり着くまでの道のりがすごく大事なんだと思う。犬島でいうと、連絡船で海を渡って、小道を抜けて、煙突が見えて、はっと気付いたら舞台に着いていて、ああ、島で一番贅沢な場所に来たんだなって思う瞬間があったりしたよね。そういう時間の流れみたいなものが感じられる場所かなあ。
小堀:船から見えるもんね、煙突。
松本:神社や仏閣などでも、ちゃんと、計算してアプローチを造ってあると思うよ。伊勢神宮は伊勢神宮なりに、川を渡って、鳥居をくぐって・・・
小堀:五十鈴川で手を洗って・・・。
松本:そうそう。本堂に着くまでにいっぱい儀式がある。ああいうのも、一種の野外劇場論なんやろね。
小堀:維新派の台本には日没の時間が書いてあるじゃないですか。単にお日様が沈むだけじゃなくて、その場所に沈むということに意味があるんですよね。
松本:そうやなあ。僕らは、何ヶ月もその場所で稽古をしたりして、だんだん、場所に対する鮮度は薄れていくけど、客は、はじめて来る訳やからものすごい貴重な時間体験をしてるわけ。普通、芝居というものは空間体験だけど、時間体験までできるというのが、野外公演での醍醐味。千人いたら、千人違う時間体験するわけやからね。
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2002年/犬島公演(岡山県)
『カンカラ』ポスター(表面)
エントツが聳える精銅工場跡にて。
写真は福永幸治氏。 |
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2002年/犬島公演(岡山県)
『カンカラ』ポスター(裏面)
維新派的犬島案内を掲載。
写真は伊東俊介氏、文章は私、村上美香。 |
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