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フェスティバルゲートで活動する4つのNPOの検証と未来に向けてのシンポジウム


第一回シンポジウム

甲斐
ありがとうございました。(拍手)引き続き、NPO法人ダンスボックスの代表理事、大谷さんにお願いします。

大谷
 こんにちは、ダンスボックスの大谷です。今日はお忙しい中、こんなにたくさん集まっていただきまして、ちょっと感激しております。ダンスボックスは1996年に、大阪のミナミにあるトリイホールのなかに任意の団体として立ち上がりました。そのときはコンテンポラリーダンスという新しいダンスを発表する場、表現する場というが関西のなかに少なかった状況でした。そういう状況の中で、とくに若いアーティストを中心に、表現できる場所を作りたいという思いがありまして、トリイホールの中にダンスボックス実行委員会というものを作ってスタートしたのが、この活動の始まりです。2002年にこの新世界アーツパーク事業のなかに縁があって入ることができまして、そのときにNPO法人化するわけですけれども、公設置民営という、日本の中でも珍しい劇場の運営であるなかでNPO化することによって、ひとつの社会的な責任というのがそれまでとは違うなあということを感じました。
 じっさいにいろんな事業展開をしていくなかで思っているのは、まず1つは大阪から世界に通用するアーティストを育成したいということです。それまでも96年から現在までに9年やってるわけですけれども、世界で活躍するようなアーティストが数組育ってきました。それは、劇場というものが持っているひとつの役割だと思うんですけれども、いわゆるアーティストあるいは作品を生み出していくインキュベーターとしての役割があると思っています。ダンスボックスでは「ダンスサーカス」というのがありまして、1組12分で1日5組出るんですけれども、これはまったく審査がありません。申し込んだ人は誰でも出られます。そういう12分の作品からスタートして、そこでいい作品を残すと「ダンスボックスセレクション」という、今度は20分の作品ですね。「ダンスサーカス」は年間で非常に多い参加希望者がありますので、50組くらいこのプログラムに出ています。そのなかから年間8組を選んで、20分の作品を上演してもらう。さらに今年からその上のステップアップとして「one-Dance」という、これは年間2組のアーティストなんですけれども、一週間劇場を提供して、製作的なこともすべてダンスボックスがやるというかたちで、最終的に2組のアーティストを選ぶというシステムを考えました。この2組のアーティストにかんしては、とくに海外で公演できるチャンス等々を作っていこうと思っております。
 もう1つは国際交流事業で、大阪市との恊働、いろんな枠組みがあるんですけれども、とくに現代芸術祭という枠組みを中心として、アジア・コンテンポラリー・ダンス・フェスティバルというのを昨年まで4回開催してきました。このなかで、海外のアーティスト、あるいは海外の劇場、海外のオーガナイザーとのネットワークが生まれてきました。アジアだけではないんですけれど、アジアを中心としたヨーロッパとか、今年はインターナショナル・ワークスとしてメキシコとオランダとイスラエルのアーティストを招聘いたしますけれども、そういう国際的な交流活動をするなかで、ダンスボックスというのが、小さい劇場ですけれども、今は世界的にも非常に有名になってきました。有名になるだけでなくて、そこでコンテンポラリーダンスを通じたネットワークが生まれつつあるということが、公設民営あるいは大阪市との恊働作業であるからこそ、という面は間違いなくあると思っています。一民間組織だと、ある種の信頼度は低いと思います。これはアーツパーク事業だからできた、ひとつの結果がそういうネットワーク作りに活かされているのかなと思っています。
 それと、舞台芸術、ダンスでも演劇でもそうなんですけれども、芸術の享受のあり方が近年変わってきたなと思っています。いわゆる鑑賞型の芸術の享受のあり方だけではなくて、参加型のワークショップに代表されるような、芸術の享受のありようというのが非常に盛んになってきています。これは、ダンスのもつクリエイティブな創造力、あるいはイマジネーションという意味の想像力、からだを使ったコミュニケーションの力、そういうものが、ワークショップのなかで活かされていると思います。じっさいにここでやるワークショップだけではなくて、たとえば障害者の方に向けたワークショップであるとか、親子のためのワークショップであるとか、これ以外の公的な場所でのワークショップをする機会が非常に増えています。これも私たちの新しい活動のあり方として、社会化されてきているなあというのを実感しています。
 最後に、地域社会との関係です。上田さんもいろんなかたちでかかわっていますし、私たちも商店街の方とのおつきあいからはじめて、ここをオープンしたときにも商店街の組合の会長に来ていただいて、新世界の話をしていただいたり。今年で3回目だったんですが、「コンテンポラリーダンスin新世界」というプロジェクトも開催しています。この地域というものが非常にスローライフで、大衆演劇とかスマートボールとか懐かしいものがたくさん残っている。ところが一方では怖い場所であり、若い女の子が夜一人で歩けないというようなイメージがある町でもあります。で、そういうところに、そうではない、町の面白いものを見ていただきたいということで、一年目はツアーをして、ジャンジャン横町から通天閣、市立美術館という、この町の魅力を知ってもらいたい。と同時に、町の人には、コンテンポラリーダンスってわからないわけで、それが隣接するフェスティバルゲートの中の劇場で日夜公演がある、それがなかなか地域の人たちが見に来れない、そこを何とか見て欲しいということで、野外で踊るというシチュエーションを作ってきました。そのなかで少しずつ、地域とのかかわりというのを、ぼくは10年仕事だと思っていまして、芸術文化アクションプランが10年計画だったというので、その過程をふんでいるかたちだと思います。年々地域の方とのコミュニケーションがとれてきていますので、たとえば今年は、さきほど申しました「ワンダンス」という公演に、地域の人たちを無料で招待するという試みも考えています。
 そういうことを今まで展開してきたんですけれども、今こういう事態をどう乗り越えていくのかっていうことは、さきほど甲斐さんも山崎本部長もおっしゃってましたけれども、対立するのではなくて、横の関係を保ちながら、せっかくここまでやってきたことで、しかも事業そのものの評価っていうのは、大阪市の評価委員の方にも非常に高い評価をいただいていると思っております。また文化庁の文化審議会や地方自治体に私たちが呼ばれるケースがたくさんあって、いわゆる公設置民営の非常に成功した事例として全国の中では認知されている事業なので、何とかかたちを変えてでも継続していきたいと思っております。以上です。
 

 
甲斐
 ありがとうございました。
 ここでひとつ補足させていただきたいんですけれども、私たちはずっと4つのNPO法人だけでやっていきたいなんてことは考えておりません。担当間の意見交換レベルでは、ほかのNPOも入って来れるしくみ、NPOを公募して、ここのNPOが増えていくといいなということで、基本的な考え方は一致しています。
 では次、「記録と表現とメディアのための組織」、通称remoの雨森さん、よろしくお願いします。

雨森
 remoの雨森と申します。よろしくお願いします。remoは、デジタルメディア、映像や音、その周辺のさまざまな技術に特化して、メディアを使った個人を発信源とする表現の活性化・促進を目的として2002年8年にNPOを設立し、同年11月にここフェスティバルゲートの4階にスペースをオープンしました。remoでは、今後これらのメディアが世界の中で重要なコミュニケーション・ツールとしてさらに発展していくだろうという考えのもとに、日々の営みから美術表現に至るまで、広くその動向を探りつつ、このメディアを使った個人を発信源とする表現というものを活性化していこうと活動しております。
 映像とひとことでいっても、テレビや映画や現在では携帯でも映像を撮ることができるといったように、日常の中のさまざまな場所で映像をみなさんも見る機会が多いと思います。remoで取り扱っている映像が、どういうものなのか少しご覧いただこうと思って、映像を用意しました。この映像はremoでおこなっている「インテリアとしての映像」のプロジェクトで「wall stream」といいます。この映像は、美術館やギャラリーなどの限られた美術空間ではなくて、カフェや公共の空間、パブリック・スペースで、インテリア、壁紙としての映像の可能性というのを考えて、ビジネスプランとしてすすめているものです。
NPO法人を設立するに至った経過をお話ししたいと思います。私自身が99年から2001年までオランダに滞在していたんですけれども、その前から日本でも現代美術の分野において、映像を使った表現が増えてきました。オランダでは、そういった映像を紹介するフェスティバルや専門の組織などがたくさんありまして、展覧会などでも映像作品をたくさん目にする機会があったわけです。オランダを含むヨーロッパでは70年代頃から、メディアセンターが設立されたり、フェスティバルが継続して開催されていったりと、質の高い作品が生まれる環境整備ができているというのを現地で目の当たりにしました。国際的にも、ビエンナーレやトリエンナーレなど大きな国際展でも、現在は映像の作品が大半を占めるという状況になっております。日本でも、映像を使った作品、作家が増えているにもかかわらず、そういった作家をサポートする専門的な研究機関、発表する機会が欧米と比べると不足しているのではないかということを感じはじめ、帰国後、代表の甲斐やほかのメンバーと話をして、remoを立ち上げ、活動をスタートしたというのが経緯です。
 また、私たちの組織ではそういった美術表現だけではなくて、日常のなかのコミュニケーション・ツールとしても、「映像」をとらえています。このインテリアとしての映像というのも、そのプロジェクトのひとつなんですけれども、たとえば携帯動画のアーカイブや、オルタナティヴ・メディアの勉強会などもおこなっています。具体的には映像史やメディア技術史の再検討をおこなう研究会のほか、国内外の作品、質の高いものから若い作家の実験的な作品までを紹介する機会と批評する場の創出、カンファレンスやレクチャーなどを開催し、海外からもゲストを招いていろんな話を聞く機会や交流する機会をつくったり、アウトリーチとしてワークショップなどもおこなっています。とくに今年は子ども向けのワークショップに力を入れて、教育プログラムの開発と実践をおこなっております。あと、「文房具としての映像」という観点から、代表の甲斐の方からも少し話をしてもらおうと思います。

甲斐
すみません、今日ぼくはナビゲーターなんですけれども、remoの代表理事としてちょっと補足させていただきます。要は、一般的に映像と言ったときに「見るもの」というと、テレビや映画がぱっと頭に浮かんで、受け取る側としての態度しかぼくたちは持っていない。たとえば、500年前の活版印刷が生まれて、文字原稿というのがみんなに行き渡って、そこから知識を得て、それらを引用して人に何かを伝えたり、表現するという技術をぼくらは持っています。これは学校教育で「てにをは」を学んだことで、言語を介して人に伝えたり考えを整理したりすることができるようになっている。今、映像には「暗黙知」という言葉で表現される、言語化しえない「知」というものが入っているのではないかと言われています。映像も何年後かには、ただ受け取るだけじゃなくて、ぼくたちが発信する側にもなっていくんじゃないかと。既に、誰もがコンピュータやビデオカメラを持っているわけですし、インターネットを用いてさまざまな情報を発信している人たちも出て来ているわけです。こういった動きというのは始まったばかりですが、アートという領域にとどまらず、オルタナティヴ・メディア(マス・メディアに対して)といって社会のなかで問題意識を共有したり、問題を解決するためにメディアを活用しアクションしていくというような動きもさまざまな地域、国を越えて広がってきています。そういう実践者や研究者ともリンクしながら、remoでは、個々人がリテラシーを身に付け、発信する力、表現する力を育んでいく場として、とにかく作ってみるという機会やテレビでは放映されないようなさまざまな表現を見る機会を提供しています。

 すみません、ナビゲーターに戻ります。remoの雨森でした。引き続き、NPO法人ビヨンドイノセンスの副代表理事の西川さん、よろしくお願いします。

西川
 よろしくお願いします。NPO法人ビヨンドイノセンス、代表理事は内橋和久なんですけれども、今日は山口でレジデンスがあるということで、代理として私がしゃべらせていただきます。NPO法人ビヨンドイノセンスは、1996年から代表の内橋和久が、国際的なレベルで通用するようなミュージシャンを日本で育成するということと、海外で即興演奏、海外、欧米で広く認知されているインプロビゼーションという前衛音楽を日本にひろく広めようという目的で、1996年から毎年開催されています。その「ビヨンドイノセンス」の運営スタッフを中心として、今のNPO法人ビヨンドイノセンスになっています。
 活動なんですが、フェスティバル「ビヨンドイノセンス」という、これは世界的にみても即興演奏とカテゴライズされるもののなかで、最大級なんじゃないかなっていうくらいのフェスティバルです。日本ではこういうイベントはほかでもないと思います。それで・・そのフェスティバル「ビヨンドイノセンス」というのは、欧米から何人か前衛的なミュージシャンとの交流の場になっていて、世界的にも相当な認知をされています。国際交流という意味ではほかにも・・折りこみのなかに紹介が入ってるんですけれども、大阪現代芸術祭プログラムのなかに書いてあるんですが「ブリッジ・ニューミュージック・シリーズ」というのがありまして、これは国際的に活動する若手の前衛音楽家から、かなり認知度の高い前衛音楽家までを網羅して、ブリッジに招致して、関西の若手とかミュージシャンとコラボレーションをするという企画です。それで・・なんて言ったらいいんやろ。すいません、あんまりうまく言えないんですけれども・・

甲斐
 質問していいですか?

西川
 はい・笑

甲斐
 ビヨンドイノセンスというのは、歴史ある、今年9回目を迎えるわけですよね。で、今年の計画として、何時間くらいで、どれくらいのアーティストが。もしくは去年でもいいです。

西川
 去年はですね、フェスティバルとしては3日くらいありまして。かかわる人というのは・・どれくらいかな・・たぶん50人くらいのミュ−ジシャンがかかわったと思います。海外からは10人くらいのゲストをお迎えして、日本からも若手のバンドや即興演奏家が。ここでしか見れない人が来るという、そういうフェスティバルです。

甲斐
 内橋さんからきいてるのは、ビヨンドイノセンスのスペースである「ブリッジ」というのはライブハウスではないと。

西川
 何て言うんでしょう、その辺もすごく難しいんですけれども・・ライブハウスっていうんじゃなくて・・

甲斐
 ごめん、しゃべっていい?答え聞いてるから、ぼく言うね(会場笑)。内橋さんいわく、ライブハウスではないと。アーティストが日々訪れて実験をする場所だと。人前で実験することで、お客さんは勝手に来たり来なかったりするわけですけれども、人前で実験することで緊張のなかで自分を切磋琢磨することができると。それを見てる新しいアーティストがまたいて、また刺激を受けて新たな実験の領域に入っていくということで、道場みたいな感覚だと。

西川
 道場・・

甲斐
 これは内橋さんが言ってました。ごめんなさい(会場笑)。鑑賞機会としてのライブハウスではないと。要するに私やる人、私見る人、ではなくて。見てる人も楽器を中に持ち込んだり表に出していい場所。

西川
 ぼくらの考える音楽っていうのは、だから既存のカテゴリーのある音楽ではないんですよ。たとえば、楽器持ったことのない人が弾くギターの音が、すごい胸を突いたりするわけですよ。ねえ、そういうチャンスというか、そう言うときりがないんですけれども・・うーん・・難しいな・・

甲斐
 たぶん今のでみんな分かってる・・よね?(会場あちこちでうなずく)今ので通じてるという感じで。最後に何か。

西川
 ワークショップも定期的にやっていますし、レクチャーなどもやっています。とにかく、即興演奏とか前衛音楽って難しい、眉をひそめる感じってあるじゃないですか。じっさい触れてみるとそういうのではなくて、個人のもつパワーみたいなものをどれだけ音に変換できるか、みたいなところがあって。欧米では即興演奏があれだけ認知されていて、だからビヨンドイノセンスに関わっているミュージシャンも、海外ではある程度認知されていたり、賞をとったりしているんですけど、日本に帰ってきたとたんに何もなくなるんですね。日本にもそういうのを根付かせたいし、それと同時に国際的にも・・ね、こういう感じを目指しているわけです。舌足らずですみません。ありがとうございました。

甲斐
 よくわかった感じがします。ありがとうございました。
 以上、新世界アーツパークの各NPO法人の活動が、おおよそでも見ていただけたかと思います。では10分、休憩を入れます。2分オーバーしていますので、ジャスト30分から始めます。
 

 

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