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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


04 空腹の技法 その1 坂本公成

<「収穫祭」プロジェクトの始動>

メ:同じ時期に出てきた収穫祭のプロジェクトについて。「出前」、「ポータブル・ダンス」といったコンセプトはどういったところから出てきたのですか?

坂本:2つ欲求があったのかな。モノクロームを始めた頃と似ているのかも知れないけど、劇場を離れたところでいろいろ試したいと思ったのが1つ。まあなんか、常にそういった欲求はあるみたいね(笑)。2つ目は、いろんな振付家に学んでいたから、いろんな振付の手法を試してみたいということ。だから劇場を離れていろいろ出かけてゆくんだけど、そこでやりたいのは完全即興じゃない。1つは即興の手法、あるルールを作って行われる即興だったり、もう1つは、できあがった振付をいろんな場所を換えて、その場所に埋め込んでゆくというか、その場所を切り裂いてゆくというか。そういうことがちょっとやりたかったんですね。

メ:その場は物理的な空間だけではないですよね。

坂本:もちろん場っていうのは、その空間であったり、人であったりするんだけど、まあ最初の頃は空間って言う意識が多かったのかな。人っていうと、たくさんの人がその場所に集まっているという感じだけで、特定の人じゃなかった。ただイメージとしては、日常っていう時間と空間があって、そこにダンスがふっと現れて去っていくみたいな…そういったことをその頃書いたテクストとかあるんだけど。たとえば、信号待ちをしている人たちがいて、その中で誰かがふっと踊り出したかと思うと、踊るのをやめて去っていったとか。散髪屋に行ったらその人の手つきって1回も狂うことはないんだろうかって思ってしまったりだとか。あと廃屋に忍び込んだらそこになんか濃密な人の気配がしたとか、そういう内容なんだけど…。ダンスでも、完全即興じゃなくてルールに沿った即興とか決められた振付をやるっていうことを考えると、そういう意味で収穫祭の収穫は、日常の空間がふっと歪んでそこにリンゴがぽとっと落ちてきたみたいな、そういうイメージ。
 そういう意味での収穫祭だったのが、シリーズをずっと続けることができて、98年に黒谷の山門の下の階段使いながら、ダンサーと、野村誠くんや飯田茂美くんといったミュージシャンやアーティスト10人くらいが、黒谷の山門とかでお茶を飲んだりするってことをやって。出会って一緒に散歩したりとか、いろんな所に出かけたり、お茶を飲んで一緒に過ごしたりみたいなことを収穫祭で初めてやったの。そのときに、違うやり方があるなあって思って。見に来た人とおしゃべりしたりお茶を飲んだりして楽しんで、そういうことをしている自分たちがときにふっと踊ったり。逆にそういうことをやっていると、本来観客としてやってきた人が、手遊びとかいろんなことを教えてくれたりもして、なんかフィードバックがあって。そのあたりで収穫っていう意味が、もっと明確に「出会いを収穫する」っていうことになったのかな。98年の夏に。
 98年は結構画期的な年で、「どないやねん」っていう日本の現代芸術をパリでは10年ぶりに紹介するっていうフェスティバルがあって、それでモノクロームも是非と言われてプログラムにのっけてもらった。ダンスとしてのグループは僕らだけ。そのとき、僕と裕子さんはサンチャゴのプロジェクトでパリに来ていたから、簡単にそのプロジェクトにのっかることができたんだけど、収穫祭を是非紹介したいっていうので、飯田くんとカンパニーのダンサーのちよをパリに呼びたいということになって、渡航費は出たのね。あ、出なかった、自腹だったかも。ともかく二人とプログラムを作って1週間、2週間のフェスティバルの間いてもらうために、食費くらいは出したいなと思った。そのときに、はたと、いろんなところでパフォーマンスして、ご飯食べさせてもらえばいいんやんって思って。
 それで「出前」っていうのを考えついて。美術館の会場に行くと、その一角にモノクローム・サーカスのそれまでのビデオが流されてたり、写真が置いてあったりもするんだけど、自分たちのコーナーで一番重視したのはこの出前。「出前をやります」っていうチラシを置いておいて、来てもらいたいと思った人はフェスティバル事務所に行ってブッキングをしてもらう。すると僕らがその人の家の場所や最寄り駅を聞いて、実際に踊りに行くっていうことにしたの。2週間くらいそういうのができるなあって予定してて、そういうのを呼ぶ人なんて2,3人とかでいいほうかなと思っていたら、それが連日フルというか、ほぼ全部埋まっちゃって。僕ら帰らなあかんねんけど、まだ要望があるからもうちょっと残りたいってことで、飯田くんとちよでさらに続けて。まあ、とにかく大盛況だったのね。


 
  「リベラシオン」紙で紹介された収穫祭の記事(00年9月25日付け)写真はおそらくオンギャン・レ・バン
 
 それでいろんな人の家で、野村くんとか飯田くんとかと黒谷でやったようにやってみたら、まずいろんなコミュニティの人に出会うことができた。美術学校で美術を学んでいる学生さんたちの集まりとか、その友達になるとデザイナーとかもっと面白いことやっている人がいて、あと東欧からの難民みたいな感じでパリに入ってきた人たちの仲間とか、つまり難民というか、亡命者の集まりとか。あとは映画撮っている人たちとか、ある種のコミュニティ・アートをやっている人に、野外でのフェスティバルに呼ばれたりとか、ダンスの業界、美術の業界みたいな人から、学生、もっと変わってる人だと自分の娘の誕生日に呼んでくれた人とか、いろんな人たちと出会うことができて。
 で、ご飯もほんとに様々。フランスでもアルザスみたいなドイツよりの地方の料理とか、若い人は軽いモノしか食べないらしくて、学生さんに呼ばれるとどこでもサラダが出るなあ、とか。煮込み料理みたいなのを食べさせてくれるところとか、一番贅沢なところだと、フォアグラ、サーモン、シャンパンみたいな(笑)。とにかくいろんな食べ物が出てきて、その間にする会話も刺激的というか、いろんな層の人たちと出会うことができて、パフォーマンスをやるのも、プライベートな空間から、パブリック・アートの展覧会まで幅が出てきて。来年も来てくださいねってご招待が、パリの別のキュレイターから来たり。で、これは面白いなっていうことで、出前っていうのが定着していく、始まっていくきっかけになったのね。それが「出会いを収穫する」っていうコンセプトがかなりはっきり定着した瞬間だったのかな。

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