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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


26 京都の暑い夏2007ドキュメント Vol.1



       自分にとって、目の前のこの人にとって、どう動くのがハッピーか


                                  レポーター:メガネ [dance+]
                                  写真:佐藤圭一郎

Beginners Class F 4/27(金)〜5/5(土) 18:30〜20:30  全9回
[概要] コンテンポラリー・ダンスって何? どんなことするの?そんな疑問に応える、毎年大好評の通称「サラダ・ボール・プログラム」。ダンスに興味ある方へのイントロダクション・レッスンです。世界で活躍する「暑い夏」人気講師による様々なスタイル、考え方のダンスに触れることができるプログラム。ワークショップ終了後には講師との交流の場「トークセッション」そして、講師とスタッフ&有志による「懇親会」へと流れ込みます。身体的にも知的にも刺激的な<場>です。



 
  [講師:(写真上左から)テッド・ストファー、坂本公成、森 裕子、チョン・ヨンドゥ、j.a.m. Dance Theatre、(写真下左から)エマニュエル・ユイン、サンチャゴ・センペレ、砂連尾 理、イニャーキ・アズピラーガ](提供:京都の暑い夏)見学日(4月27日:テッド・ストファー、4月30日:j.a.m. Dance Theatre、5月3日:サンチャゴ・センペレ)参加日(5月5日:イニャーキ・アズピラーガ)
 
 名前は知られつつあったけど、コンテンポラリー・ダンスがどんなものか、今よりもイメージが定かでなかった頃に開設されたビギナー・クラス。当初、日本では体験する機会の少なかった西洋のムーブメントを紹介する役割も果たしていたこのクラスは、その内実を伝える言葉が追いつかないほど進化し、ダンスや身体の可能性への大切な気づきの場となっているように思われます。

 そんなビギナー・クラスで数年来気になっているのが、参加者の変容とともにもたらされる目が洗われるような瞬間です。参加者は、講師のナビゲーションにより毎回違った化け方をするのですが、それも講師のほんの一言、あるいは「あともう一回だけ」の反復で劇的に変わるのです。これは技術的な上達というよりは、むしろ顔の表情で経験されるような変化の全身版。面白いのは、いわゆる“初級者”の身体の変化が、ぶらりと立ち寄った“上級者”や先生たちに与えるインパクトです。ありきたりな話題にはストレートに応えてくれないイニャーキも即答で、「僕も驚いた」と。
 この驚きは、期待値が低かったビギナーの“上達”度に向けられたもの? いや、予め見越していた到達点とは違う何かに出会ったからでは? こんな問いを持ちながら、昨年は、動く、見る、見られるといったやりとりの中で、ダンス・コミュニティーにとってのエイリアンから魅力を引き出してゆく講師のまなざしにフォーカスしてレポートしました。今年はアーティストのまなざしにはたらきかける、ダンスに未だ方向付けられていない身体、あるいは日常の身体に焦点を当てて考えてみたいと思います。

まずは4つのクラスのハイライトを振り返ってみましょう。

■ 個々の身体の限界Edgeを知り、打ち破る (講師:テッド・ストファー)

 テッドのクラスでその瞬間は、振付のセットの最終ラウンドで訪れました。振付といっても、それまでのテッドをお手本にしての決まった動きの型がなくなり、例えば「この状態からどうにかこうにかして腕の間にお尻を通す」といったディレクションを自分で解釈してつなげるものです。前半で、体のあちこちロンドンパリ状態に震えながら、あるいは三つもある中心(いろんな種類のダンスに共通するとのこと)やその他の分節を同時に意識しながら、自分の体の想像上の限界と格闘してきた参加者は、次第にテッドや他の人を目で追うのをやめ、自分がやっていることに集中するようになります。そして回を重ねるごとに、外への意識に中断されることなく、自分だけの時間を紡ぎ出す人がちらほら見えてきました。1回、2回。そして、タイムアップのはずなのに「もう1度」と促されての最終回。突然、空間全体がぱっと活気づいたように見えました。そのとき個々の身体は、たとえば文章題を解くためにいくつか方程式を試していた人が、納得のいく答えにたどりついたときの顔つきのよう。思わず「なんで3回目をしたの?」とテッドにたずねると、「美しかったでしょ? 回を重ねるごとに良くなってゆくからね」と、にっこり。

■ 攪乱され、考えるいとまなく動く (講師:j.a.m. Dance Theatre)

「ここをいつも通っている道と思って、まずはふだんの歩き方を思い出して歩いてみてください。」
j.a.m.のクラスでは、日常の行為の記憶が折りに触れ参照されます。マユコさんに聞くと、「舞台に立つことは日常とは違うものになることなので、両者の違いを知ることが基本」とのことでした。けれども同時に、ふだんは自動化されている行為が別の状況に置かれると、意識がはたらいて歩けなくなった百足の寓話さながらの状態に陥るのが人間の面白いところ。「この中で、数を数えられない人はいませんよね〜?」という導入で始まった最後の振付けでは、カウントを減らしつつのターンに腕で8の字を描きながらのシャッセが組み合わされ、三半器官の混乱した解釈が続出。加えて、あちこちに分散したj.a.m.レスキュー隊が、参加者の状態に即応して「宮さん、シャッセより“けんけん”に近いですよ!」、「これ、スキップって考えたほうがやりやすいかも!」。全体を見渡せば、8の字、1,2,3,4,5……、シャッセでスキップでけんけん……、を抱えた参加者の意識は四方八方に飛び散り、レスキュー隊の叫びと相まって阿鼻叫喚の様相。ここでも、テッドのクラスと同様に反復と講師の激励(これは 大藪さんのレポートのとおり)の中で、空間は奇妙な熱に満たされていったのですが、そこで身体に浮かび上がったのは、沈思黙考の末というよりは、一つのことに集中するいと間なく、刻々発生するマルチタスクを乗り切った後の放心の表情に似たものでした。

■ 合理的には捉えきれない「雲」のような身体 (講師:サンチャゴ・センペレ)
 

 
 

 
 自由度の高いクリエイションがメイン。ウィリアム・フォーサイスの『Clouds after Cranach』の振付けはもしかするとこんなやり方だったのでは?と思わせる(もちろん無関係)興味深い方法で動きを引き出し、最後に一人ずつ見せるプロセスに進みます。ここでサンチャゴのアドバイスは、アフタートークで質問にあがったように、一人一人に対して異なるものでした。ある人には「もっと速く」と言い、次の人には「ゆっくり」と言う。そして、ひたすら繰り返させて見つめます。この日は特に人数が多かったこともあり、この大事なプロセスでの時間が十分とれなかったのが残念。あと一息で花開く蕾のような参加者オリジナルの振付けで、ウォームアップのときのような数十の身体が“干渉効果coherence”を引き起こす瞬間が見たかった。けれども、サンチャゴが個々の振付けの先に何を見ていたか、何を見たかったかの一端は、アフタートークで明らかに。
「身体は、物質として(physicalに)捉えられる限りのものではありません。」
つまり、想像上のドローイングや彫刻はいわば作業仮説で、そこで待たれていたのは、身体の“かたち”を超えた何かだったのでした。その何かについて伝えるために、サンチャゴは「雲cloud」の比喩を用いました。今日、複雑系が躍起になってモデル化を試みている雲は、小さな粒の集合と霧散の中で、持続して形態を変化させてゆきます。クラスをとおして呼吸でコントロールすると説明されたエネルギーの流れを、サンチャゴは四肢がとる形とは別の、そういったイメージで見ているのでしょう。さらなるトークでは、世阿弥の「離見の見」とよく似た視覚の話も飛び出し、私たちの日常的な捉え方を超えた身体のあり方を知ることができました。
 

 
 

 
 

 
■ 目の前にいる人に人として応じる (講師:イニャーキ・アズピラーガ)

「自分の部屋に友達を招き入れるのに、ほんとにそんなやり方する?」
「お家へ招待」というペア・ワークでのこと。手を引き寄せてパートナーを移動させ、反動で引寄せられて移動する中、自動化した引力斥力の切り替わりに興じる私たちを止め、イニャーキはこう言ったのでした。どきりとして、改めて目の前にいるパートナーを見ると、体全体の構えが変わるのがわかりました。じゃあ、今自分がやっていたのは何だ? 動作のクォリティーの違いが内側から感じられた瞬間でした。
 イニャーキのワークは、このような目の前の相手に要請されるような感覚を参加者から否応なしに引き出すものばかりでした(トカゲ歩きは除く)。その際設定された「緊急事態urgency」と「必要性necessity」が、立ち止まって判断しようとする体を突き動かします。対して、繰り返していくうちにこなれた運動からは、同時に何かが失われてもいる。このことに気づかせてくれたのが、先の一言でした。そういえばj.a.m.のトークでも、「何度も繰り返す動きを毎回“生きる”のが難しい」という話が出ました。そのときは、ダンサーのご苦労がしのばれる、といった傍観者的な感想を持ったのですが、実際自分でやってみて全身に広がったのは、この“生きてない”状態を日常の身体もまたよく知っているという感触…。ぐるぐると廻るその気持ち悪さに追い打ちをかけたのは、アフタートークでのイニャーキの次のような言葉でした。
「僕は、“ダンサー”ではなく人間を見ているんです。技術的なレベルとかそういったことは問題にしていません。」

■ ビギナーの身体がWSでたどるプロセス

 さて、こういった美しい瞬間や身体に浮かび上がる表情の変化を目の当たりにすると、何故こんなに心を動かされるのか? という問いが湧き上がってきます。簡単に答えを出したくない問いですが、今年のビギナー・クラスでの体験や参加者のコメントから一つ腑におちることがありました。ビギナーたちはそこで、筋道は異なれ次のようなプロセスをたどります。
 まず、クラスでは日常を離れた動作がいわば作業仮説となっているので、各々は習慣化された行為の安定圏を一旦出なければなりません。そうして放り込まれた不安定な状態でさまざまな葛藤を通過した後に、新たな安定をつくりだす。抽象化してしまうとドラマのプロットのようですが、実際WSでは、各々の安定圏の際(きわedge)をさまよう身体が、攪乱/調停方法を心得たアーティストを介入へと駆り立て、彼らが経験的に知る身体のいい状態、つまり葛藤や分裂や乖離のない状態へと導かれる光景が展開されました。こう考えると、秩序を更新するプロセスにある身体が、見る者に訴えかける力を持つのも不思議ではありません。葛藤のエネルギーが臨界点を超えるのを見守るのは、はじめから調和のとれた美しさを眺めるのとはまた違って、単純にドラマチック。

■ visions on the edgeのサラダ・ボール

 単純でないのは、このedgeに、解剖学的に捉えた体として割り切れないものが絡んでくる点です。例えばテッドのトークで語られたように、実際の体の可動範囲は自分で思い込んでいた「これ以上曲がらない!」を超えたところにあります。こういった例をひくと、一般的な頭と体の分裂の話になだれこんでいきそうですが、ここはそれで片付けたくないところ。ダンスに対する先入観、日常の中で刷り込まれた倫理や美意識、目的を持つ行為の経済性がつくりあげた身体秩序、それを逸脱した動作の中で新たに生まれる違和感、よすがにすると足をひっぱる日常の記憶……などなど。ダンスと出会ったビギナーの身体には、physical/mentalに分けられない、また分けて考えても様々な領域にまたがる論理が渦巻きだします。真下さんのC-3レポにあるように、edgeは上級初級の別なく個々の身体にあり、 老木さんの全体レポ 竹田さんのA-3レポ大藪さんのC-1レポからわかるように、アーティストがそこに見いだすvisionもまた多様なのです。私にとって興味深かったのは、両者がぶつかり合って生み出される混沌状態のポテンシャルに他ありません。

■ “日常の身体=非ダンスの身体”を持つビギナー

 そこで飛び散る火花の行方を一つ一つ追うのは来年以降の課題にして、ビギナーとアーティストの両者がこのクラスから得る実りをざっくり考えて終わろうと思います。
 アーティストにとっては、ダンスにカスタマイズされていない身体を、日常の身体と読み替えれば話は簡単。通常“日常の所作”がダンスの話題にのぼるときは、歴史的な由来もあって、ダンスの否定やオルタナティブという意義が注目されがちなのですが、コンテンポラリー・ダンスのアーティストにとっては、ダンスとは異なる秩序をもつその内実こそが重要になってきます。日本で話題にされているように、コンテンポラリー・ダンスが、共通の歴史認識が崩れた後に、個人がその身体をベースに発見した価値を交換してゆく場となっているのなら、様々なドラマの種を宿した日常の身体は汲めども尽きない泉となるからです。
 一方、ダンスにさほど方向づけられていない身体をもつ者にとっては、ダンスという場に引き出され、アーティストの視線に晒されたときに、自分の体が孕むさまざまな現実が露になります(真下さんのB-2レポにもありました)。そこには労働したり、癒しを求めたりといった、生活する身体の方向づけも自ずと絡んでいるわけで、ビギナー・クラスは、こういった大きなサブジェクトへの出発点となる個々の現実に即した気づきを、さらにはアーティストの手を借りてのポジティブな方向づけを参加者に与えるなんてこともあり得るのではと思われるのです。

 今回イニャーキのクラスで感じた違和感は私にとっての入り口。ほかにも、来年の「暑い夏」までに温めておきたいサブジェクトができました。講師と参加者のみなさま、いろいろと示唆をくれたドキュメント班、そしてこの創造の場のクォリティーを維持している事務局の方々に感謝します。

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