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AnN-shitsu presents シキのコンクリート《散文抄》 2005年11月05日-06日 築港赤レンガ倉庫315

随分と長い間待たされる事になるが、彼女の瞳(ことさら夕焼けの緋の色よりも鮮やかな光)が刺激的だった事で、私はまたも夜の寝を待つ間を、楽しみに変換していく事となる。その瞳は色を変えていく。這うように滑らせた舌先で戯れに撫でてみると、その色がコバルトよりも深いロイヤルブルーに変化して、夜に落とされた明滅する黒に燿くのだ。

しかし、この猥らな妄想をこの異邦の王国でも掴もうとするのは、一体何故なのだろう?答えは、「あなたが恋をしているからだ」と、そんな事を言いたげに近寄ってくる詩人があった。側に海があった。黄金色に耀く鳥がその海面に波紋ができるほどの低空飛行で、幻惑の紋様を海に綴っているようだった。コンクリートで埋められたような海だと言う。荒涼で複雑にして漠たる現代の海だと云う。寂寥の騒めきよりも美しい無音だけが場を支配する。死期の凪がれと四季は流れ、純粋たる身体の死、人と人の響きと響きを聴き鳴らし、指揮をとる。そうして私はどこに流れ着いたのだろうか。ジュエルグリーンが現実という危険をエキゾティシズムとしてもたらし、雑念が傍観者として意識を切り取る。

彼女の話では、これはある物語を含んでいるのだと、まるで或る王国の秘密をそっと打ち明けるかのように教えてくれる。さしずめその国では皇女であろう彼女は、宝石箱のように煌めく物語を、舌先から滑らして私にくれた。なにより彼女の微笑が、どんな物語よりもミステリアスな輝きを見せていた。褐色の肌がゆるりと弛緩する口元に、若き詩人が魅入られたのは言うまでもない。絢爛だけを過剰に摂取し続けたようなこの王国の皇女が求めるのは、自分が未だ知り得ぬ物語だけだった。

若き詩人は自分の腕試しにと、夜の一夜一夜に物語を皇女のために綴った。物語は手紙として為たため、封を閉じる前に酩酊するほどの香水を文字と言葉にふりつける。冒険譚には刺激的な、幻想物語には高揚感を醸し出す香水で演出するのだ。詩人の紡ぐ物語はヴァラエティに富んだ。

巨大な穴を廃虚に空け続ける建築家と彫刻家の話、廃線路に彷徨う罪深き者たちの黒より暗いトンネルでの話、六月の花束に捧げられた亡霊の話、大航海に出航する荒くれ男どもの酒場の話、そして遥かなる海の気が遠くなるようなノスタルジア、高級娼婦と老詩人、革命舞踏会、盲目の音楽家と耳が聞こえない画家の恋、その画家と無邪気な妖精との悲恋…。そう、あらゆる物語に恋があり、いずれも悲しみを伴っていた。

ある夜、もう何通目にもなろうとする手紙に詩人が封を閉じようと口付けると、激しい眩暈に襲われた。それはあまりに甘い眩暈で永遠すらも舞い散るような劇薬だった。つまるところ、詩人は恋に落ちていたのだ。皇女へ送る物語の言葉は、恋をする文として血に湧き、駆け巡るそれは激しい毒素として薫り、肉体と精神、そして詩人の哲学をも蝕んだ。尚も詩人は手紙を書き続けた。腕試しなんて余裕は全くなかった。 詩人の一夜一夜、それはまさに死に向かう生だった。今、詩人は自ら描いた夢の続きに静かに襲われていくのだった。ところで、未だ恋が何たるかも知らない皇女は若き詩人から送られる物語にはもう夢中になっていた。持ち前の天真爛漫さで「次を次を」と詩人にせがむのだった。なにより彼女が魅かれた物語(それ自体が皮肉めいた話になるが)それはある奇病についての物語だった。物語の冒頭はこう綴られる。

かつて、恋にしか罹らない病が流行し、大量の恋が死んでいった…
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