
本に載ってへんようなエピソードをちょっと聴かせてもらえませんか
豊「そやねぇ、どんなんがええかな」
ちょっとええ話から武勇伝(笑)までいっぱいあるもんねぇ…うーん…じゃあ、なにか『豐』のメニューにまつわるような話は?
豊「んー、そやねぇ…うちの<揚げ豆腐>って、食べたことある?」
あるある。タレがちょっと酸っぱいねん。よそのは天つゆみたいなんがかかってるけど、『豐』のは甘くなくて酸味があるの。よく<揚げだし豆腐>って言うけど、豊さんは<揚げ豆腐>って言わはるよね。なんかそのほうがカリッと揚がって美味しそうに聞こえる(笑)
豊「うん。ほな、その話にしよか。あのね、<揚げ豆腐>って最初はあんまり意識してなかってん。店始めた時は今ほど品数がなくて、たぶん5分の1くらいやったと思うわ。ある時にお客さんが、‘『読売ライフ』読んでたら豊ちゃんのこと載ってたわ’言わはるから、‘ええ!?どこですか!?どの分が!?’って見てみたら、なんていうタイトルやったかなぁ、『わたしの好きな店』とかなんとか…とりあえず、有名な人のこの店っていう感じのコーナーで、山村若津也おっしょさんが、‘天満宮の前の『豐』さん、<揚げ豆腐>がまこと美味しかった’って。そうそう、‘若くて美人のママ’って(笑)、うそばっかり」
いやいや(笑)それ、いくつの時です?
豊「30か31の時かなぁ。私が29で開店して間もなくの頃やから。おっしょさんが60歳くらいのときやね。店にみえた時、そらもう、綺麗やってね、‘あ!若津也おっしょさんやわ!’と思って。その時は<揚げ豆腐>のこと、特別美味しいとも言うたはれへんのにね。1、2度みえただけやし、そんなものすごう気に入らはったとも何にも言わはれへんと、もの静かに食べて、もの静かに帰らはったのになぁ。おっしょさんのことやから、ほかにいっぱい、いい店知ってはるはずやんか」
そらそやね。若津也さんといえば、最後に拝見したお舞台は、ずっと床几にかかったまんまで、ほとんど扇だけ使わはるような感じやったけど、ほんま、それだけでよかったもんなぁ…。ほんま可愛らしい感じやった
豊「そやろう?あれは、『桐の雨』やったなぁ…。その、若津也おっしょさんが、ものすご馴染みの店みたいに書いてくれはって。‘若くて明るうて感じのいい女将さんで、そのママ(=女将)が気に入った’って。で、好きなお料理は、‘<揚げ豆腐>が美味しかった’って、わりと誌面を割いて書いてくれはって。せやけど、そんなん載ってるのも知らんかって、それをある人から教えてもうてね。それからやねん、‘そや、<揚げ豆腐>をうちの名物の一つにしよう’と思て」
開店当初やったし、そら嬉しいよねぇ
豊「そやねん。今やすっかり<揚げ豆腐>は影をひそめてるけど(笑)」
はれ?なんで?そういや、私がおじゃまするようになった頃には特に<揚げ豆腐>がどうのこうのって話は聞かへんかったけど
豊「品数が多うなったからやろね(笑)。『読売ライフ』読まはったからやないやろけど、最初の頃は<揚げ豆腐>を注文してくれはる人が多うてね、看板メニューやってん
ふぅん。せやけど、今でこそ<揚げだし豆腐>ってどこにでもあるけど、その頃あんまり聞かへんかったと思うよ
豊「そやねぇ、30年前やしねぇ。そうそう、それとね、<揚げだし豆腐>って店によって違うと思うけど、だいたいお豆腐を水切りしといて粉振って揚げはんねん。私は水切りしとかんと、注文聞いてから、お水の中からすくってパッパとちょっと拭くだけやねん。これが、お豆腐の風味がちゃんと残って美味しいと思うねんよ。ほんで、おだしに、レモン汁しぼって、大根おろしとカツオとお葱と土生姜と」
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