
日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物 |
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+まず、キャバレーでの金粉ショーを実際に体験されている大谷さんに、当時のキャバレーについて教えていただきたいのですが。
大谷:いわゆるグランドキャバレーという言い方をしていたのですが、当時キャバレーは、ちゃんとショーを見せる社交場としての機能を備えていたんですね。ショーを見ながらホステスさんと会話を楽しんだりする場所で。後にキャバレーが衰退するのは、お色気への志向を強く押し出すようになって、そんな雰囲気が廃れていったことと同時ですね。つまりそれまでは、グランドキャバレーにつきもののショーダンスは、日本のショービジネスの発達とともに洗練されていってたんですね。
また、昔はグランドキャバレーだと、フルバンドを抱えていました。だから僕らがキャバレーを廻るっていうと、楽譜を持ってゆく。もちろんショーのためにオリジナルの曲をちゃんと書いてもらって、それにきちんと振り付けをして。そしてキャバレーに着いてまずするのが、バンドさんとの打ち合わせ。四分音符のテンポを合わせて、それでお願いしますとなると楽譜を見て演奏してくれる、それで本番を踊るっていう風になっていました。
+お客さんも踊れたりしたのでしょうか。キャバレーやダンスホールで踊ることが流行していた時代かと思うのですが…。
大谷:それはまだ前の話で、50年代とかじゃないかなあ、日本だと。僕らの親の世代が今の子らがクラブに行くような感覚で踊りに行っていた時代の話でしょうね。
竹ち代:チャチャチャとか?
大谷:もそうだし、ジルバもルンバもワルツも、いわゆる今社交ダンスと呼ばれているもの。でもそれは、キャバレーとは別にあったダンス場で。もちろんキャバレーでも、ショーが終わってからは、ホステスさんと踊るチークタイムというのはありましたが。
+いわゆる暗黒舞踏のダンサーたちにとって、キャバレーでの活動は重要な意味を持っていたそうですが、その関わりはいつ頃から?
大谷:土方さんが始められたのは、60年代だと思います。-それは「金粉ショー」じゃなくて僕らは「普通ショー」(金粉に対する区別の意味での“普通”)っていう言い方をしていましたが-その初めの頃にどんなことをしていたかっていうと、土方さんは元藤さんと「ブルーエコーズ」っていうのを作っていて、そこでは基本的に、『アダージォ』という、女の人を持ち上げたりといった振り付けが主でした。フラメンコの要素を入れたりして。当時土方さんたちが日劇で、歌手の後ろでバックダンサーをしていたので、そういったところからショーダンスをおぼえていったのだと思います。
金粉ショーについては、60年代後半頃に、麿赤児さんの「大駱駝艦」を中心に、いわゆる新しく振り付けられたものが始められました。僕は「北方舞踏派」というところにいたんですが、舞踏を始めた頃に稽古場を一緒に借りていたりしていたので、同じ流れで。僕が始めたのは73年くらいになります。
当時たくさんの舞踏の人たちがキャバレーで仕事をしたのは、経済的な理由というより、舞踏のほうの舞台に表現面でよい影響があったからなんですね。というのは、変身する、ものに成るということが舞踏のメソッドの中にあって、金粉を体に塗ることは物体のようなものに成るといった感覚ですから、その意味でうってつけだったわけです。ひどい言い方をすると、女の子なんかカンパニーに入ってきて3日目で、ショーの舞台に売り飛ばされるというか(笑)、出されるわけです。それで、一つはものになるっていうこと、もう一つはいわゆるアートという括りではない、でも舞台には変わりはないところで、客に体を曝すということをやる。そういった意味ですごく修行になるんですね。行く前によく言われたのが、「帰されると3倍返し」(笑)。つまり踊りがダメで帰されると、キャバレーにギャラの3倍返さなければならないと-本当かどうか知りませんけれどね-。あと、僕らは当時、「荷物」って呼ばれていまして…、つまり僕らが打ち合わせの時間にキャバレーに着いていないと、「おたくの荷物、まだ届いてませんで」って(笑)。そうやって脅しを受けつつ、荷物としてキャバレーに行って、だいたい1か所3日で1月以上、キャバレーを廻る旅をする。あとはホテルですね。僕がやった有名なところでは、伊東にある「ハトヤ」とか。そういった専属のダンスチームのある大きいところでやるときは、金粉はサブゲストになるんです。スペシャルゲストには青江美奈とか、高倉健とかがいて、その前に僕らが踊るという風になってました。小さいキャバレーでは僕らだけ。
+いつ頃まで、そういったキャバレーでのショーはあったのですか?
大谷:70年代後半頃に、キャバレーの性質がさっき言ったお色気系に移っていって、同時に性風俗っていうのが多様化していくんですね。昔のキャバレーはスローライフというか、ゆっくりお酒を飲みながら話をする場所。健全と言うと変に聞こえますが、いわゆる今のキャバレーや性風俗とはもう全然違うものでしたので、だんだん時代のニーズに合わなくなってきたんでしょうね。
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