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英華「むずかしいねん、『たぬき』って…。端唄風のとこがあったり、小唄風のとこがあったり、<新内(しんない)>のとこもあるし。さっき言うたような、いろんな芸を見ていただくという<女道楽>の要素が、まことにたくさん詰まってる、<女道楽>が集約されたようなネタやから、そんなもん、なんも知らん人間が習いに行ったら、まず、声の出し方から違う。“ここは小唄ぶりで”って言われても、もう何にもわかれへん。真っ白の状態で伺ったので、“これはえらいこっちゃ!”って伺ってからわかった。ただ覚えたから出来るというもんではないねん」

それまでお三味線は?

英華「ほとんど<寄席囃子>だけかな、その時は。自分の高座ってほとんどやってなかった」

三味線のお稽古はいつからですか?

英華「22歳の時。それから、十年以上、<寄席囃子>をやってた。もうこのまんまやったら、お囃子さんになってもええかな、って腹をくくったぐらい」

そう思うてはったんはいつごろまでですか?

英華「十年目に<咲くやこの花賞>いただいて、それからもうしばらく」

ってことは、この『たぬき』を習いに行かはったのは、<咲くやこの花賞>を受賞されてから後の話なんですねぇ

英華「そう。もう、ずっと後の話。今、三味線始めて22年目やから、17、8年はずっと<寄席囃子>やってて、その間に、染丸師匠が、“せっかく<女放談>演ろ思て、三味線の稽古に行ったんやから、ちょっとは舞台に出てみたらどうや?”っていう話をしてくれはって。“でも、私なんにもしたことないし、どうやって作ったらええかもわかれへん”て言うたら、“こういう構成にしたらどうや”って、一緒に考えてくれはってね。染丸師匠は、実際に琴月(きんげつ)のおっしょさんとか、<三人奴>のおっしょさんとかに稽古してもろうてはるから。それを惜しみなく、教えてくれはって」

へぇ〜…。

英華「それで、何日かお稽古に伺って、替え唄作ったりして、なんの時やったかなぁ…『浪花座落語会』っていうのを毎月10日間やってたんですよ、昼夜2回公演で。私はお囃子でずっと行ってから、で、そこへいっぺん出てみるかっていうことで、出番割ってもらって、初めて<三味線漫談>で出してもらって。で、そのデビューの時に…と言うても芸人になってから15年ぐらい経ってたんやけど(笑)…私、松竹(浪花座は松竹)でしょ、染丸師匠は吉本やのに、わざわざ見に来てくれはってん!よけ緊張するがな!(笑)」

わはははは(笑)

英華「何が緊張するて、教えてくれた人が横に来てることほど、こんな緊張するもんないで(笑)。そんでもう、お客さんで緊張するは、声ふるえるは、なにしてるやらわかれへんは…15分、もう、どうしょうかしらっていう…。でも、それをさしてくれはったから、“こんなん、昔、ひな子師匠がやってはったよ”って、先輩がテープくれはったり。ほな、それを覚えて、自分なりにアレンジして舞台に掛けたりすると、やっぱりネタがしっかりしてるから、そこそこウケるのよ。自分の力かしら、私、名人かなって錯覚するぐらい(笑)。で、だいたい、ひな子師匠のネタに<都々逸>入れてやってたんやけども…でも、やっぱり『たぬき』やってみたいと思って」

いよいよ<三味線漫談>から<女道楽>への道ですな
英華「『たぬき』は全編演ると15分くらいあるんですよ。ほな、舞台でいきなり『たぬき』で始めて『たぬき』で終わることが出来るわけ。それもちょっと演ってみたかったから…。大阪のお客さんは、せっかく笑いに来はったのに、何も笑わさんと、15分ただ舞台に座って去ってゆくっていうのは、きっと許してはくれへんやろけども…。芸があれば、見てもらえると思ったから…。それで、二代目(=二代目桂春團治)の奥様のところへ伺ったんです。んで、高座の構成とか教えていただいて、それにいろいろ混ぜて、今の私の高座に近いものが出来上がったんやけどね」

英華師匠が高座にデビューされた時って、吾妻ひな子師匠が引退されてから、というか、他にそういう方が出られなくなってからどのくらい経ってたんでしょうか。私は吾妻ひな子師匠しかわかりませんけど

英華「ひな子師匠は、私が入門してからすぐに亡くなってはるからねぇ。その後、天王寺村に住んではったおっしょさんとか…すごい古い方で…でも、劇場には出てはれへんかったかな…私が中学や高校の時分には、浜お竜さんが<女道楽>で出てはって、私も見に行ったことあるけど、最後に八百八橋を言うことぐらいしか、それをなんの曲に乗して演ったんか、内容はほとんどおぼえてない」

んー。<三味線漫談>に<女放談>に<女道楽>…


英華「東京へ行けば、<粋曲(すいきょく)>とか。<俗曲(ぞっきょく)>とか。それは、<端唄>を紹介するっていうのんが重視されてるねんけどね」

東京のそういう方々は寄席に出てはるんですか?

英華「東京は7、8人。玉川スミ師匠が90歳くらいで現役でやってはるよ」
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