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英華「ほんで、その頃、あっちこっちの落語会へ、最初はお客さんで行ってたんやけど、そのうち、スタッフみたいに椅子出したりとかしてて。そしたら、講談道場に誘われて。どうせ芸人になるんやったら、私もなんかしといたほうがええかな、と思てね」

ほ?噺家はそこで諦めはったんですか?

英華「その時点では、とりあえず、師匠を替えてとかは考えてなかったので。でも、しゃべる商売としたらいっしょやし、その教室は素人さんに教えるとこやったから、それなら、まぁ、芸を一つ身につけといたらええわっていう軽い気持ちで行ったんやけど。ちょうど、講釈師を増やしたかったときやったんかな、“落語では女の真打はいてないけど、講談界では女の真打、出来てんで”って。なんか、その<真打>っていう言葉にフラフラッとしたんやろね(笑)」

ふふふふ(笑)

英華「女子高生の講釈師っていうたら、講談界にとっても話題にもなるからっていうことやったんかな。南陵先生は、すっごい期待してくれてはったみたい」

南陵先生はおいくつくらいの時ですかねえ

英華「昭和53年か4年ぐらいのことやから…。先生は大正6年のお生まれやねん。せやから、還暦すぎたくらいかな」

まだまだお若い時ですね

英華「いろいろ連れて行ってくださってね。何よりもまず、お酒を教えていただきましたね」

高校生やって(笑)


英華「はじめてお宅へお稽古に伺ったときに、“お酒は呑めますか”って。“はいっ。ちょっといただけます”って言うて。“この世界は、お付き合いがあるので、呑めないよりは呑めたほうがよろしい。お酒は呑んでもええけど、女の子なので、呑まれてはいけません。” “わかりました”って」

ほう

英華「その時分、ネタを稽古していただく前に、とりあえず、皆でビール呑んで。兄さんはあんまり呑まれへんわけや。ストーブ焚いた、もう、温(ぬ)っくい部屋でビールいただいて、皆、真っ赤っかな顔になって。ほんなら、その時分に、南陵先生は本調子になるわけや(笑)。“ほな、しょうか”って(笑)。可笑しかったな〜。ほんで、お稽古が済んだら、“お酒の稽古しょうか”って、今度は日本酒に代わって」

先生、お好きやったんですねえ(笑)

英華「ご自分が呑みたい口実もあるんやろけど(笑)。一升近く呑んだかな。あの時分、先生は長瀬に住んではったんやけど、私、天王寺に着いたらもう、フラッフラや(笑)。とりあえず、一回、天王寺の便所で吐いて」

うはははははは(笑)。吐くんや〜(笑)

英華「家帰ったらおこられるやんかっ(笑)。まぁ、親は、お酒呑んで帰ってくんの、わかってるけどな(笑)。日曜日ごとに酔うて帰ってくるわけや(笑)」

おっかし〜っ(笑)


英華「ほんで、高校3年生の春休みの時に、女流大会ってのが、新花月であって。そこへ出していただいて、はじめて高校生講談師っていうて出て、黄門さんの話やったんかな。それで、その時に、春野百合子という素晴らしい女性と出遭ってん!」

その女流大会に出てはったんですね

英華「うん。仲トリで出てはって、こっちからご挨拶に行かなあかんのに、“春野百合子でございます”って、ものすごぅ丁寧に言わはんねん、ちっちゃい声で。“はっ、こっちからご挨拶せんなりませんのにっ。あの、南陵先生の弟子の…”“あ、南陵先生の。今日はネタは何をおやりになりました?”“はい、『水戸黄門漫遊記』を”“南陵先生は『太閤記』がお得意なので、私も『太閤記』をやりますし、ちょっと聴かせていただこうと思って”って言わはって…。そんで、(舞台に)上がりはって『両国夫婦花火(りょうごくめおとはなび)』やってん!これでハマりました!!毎日、客席見に行って」

ほぉおおお

英華「それから百合子先生とのお付き合いがはじまんねんけど。んで、高校3年で新花月に出てた時に…」

それは、講談師で出てはったんですか?

英華「そうです。旭堂南蝶。南のちょうちょ」

ちょうちょの蝶?…え!?春蝶の蝶!?

英華「そう!春蝶の弟子になって、貰いたかった蝶の字が、講談師になって付くと思わへんやん!」

ひゃあ!すごぉっ!それはどなたが付けはったんですか?

英華「南陵先生」

春蝶さんの弟子になりたかったなんてご存じないのに?へえ〜、しかも綺麗な名前や

英華「先生が、“今までは女の弟子に花の名前を付けたけど、花は散るさかいに、ちょうちょにした”って言わはって。で、その後、私は辞めることになるねんけど、後日、兄弟子が“師匠はちょうちょに羽が付いてるていうことをご存じなかったみたいね(笑)”言うて“どっか飛んでってしまいよった”(笑)」

わはははははは(笑)

英華「ほんで、1年くらい休んで…。私、そういうとこ体育会系なんかな、休んでるんやから、名前は返さな、と思て、お宅に伺って、“お世話になりましたが、南蝶の名前を返させていただきます”って言うて…。あの時、南陵先生、そない何にも言わはれへんかたなぁ…“ふぅん”言わはって…。で、そんなんしてるうちに、ちょっとまた楽屋をウロウロしだしてん。ほんなら、今のうちの師匠がね、“若いのに、よぅ気がつく子ぉや”って前から言うてはって。ほんで、“あんた、舞台やりたいねんやろ”って。“はぁ…でも、もう辞めてますし…。辞めるっていうことは、もうこの世界にもどらないっていうことですから”って言うたら、そしたら、“うちの内輪やったら、世間、何も言えへんから、帰ってきたらどないや”って言うてくれはって…。ほんまに、拾うてもうたようなもんやねん」

その師匠というのが…

英華
「内海カッパ師匠。ふんで、名前いただいて。うちの師匠は比叡山のお坊さんやから、英華の英は、中野英賢先生の英をいただいたから、よぅお坊さんみたいな名前ですねぇって言われるんやけど」

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