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内海カッパさんて、どんな師匠ですか?

英華「うちの師匠?そぉら、芸人らしかったでぇ!病気をたくさんして、今は舞台に出てはる回数はまことに少ないねんけど。角座出てる時なんか、すごかったなぁ。ほん…まに、芸人さんやねん。ひと時代前の芸人の雰囲気やね。私はもともと、どっちかいうたら古い、というか、前の形のほうが好きやから。私にはぴったりやねん」

そこで、三味線へってどういうふうに繋がるんですか?

英華「カッパ師匠は私をボードビリアンにしたくって、“かしまし娘みたいな音楽ショーをせえ”って言わはったんやけど、漫才とかはものすごく難しいもんやと、師匠に付いてて思ったんで、“ひとりで、ひな子師匠みたいにやりたいんですけど”って言うたら、“かまへんで”って。その時は何も持たんと漫談やってたんやけど、やっぱり、ひな子師匠みたいにするんやったら、三味線の稽古したほうがええよなぁと思って」

それまで楽器は?

英華「高校の吹奏楽でフルートしか吹いたことない」

フルート!なんか、えらい今までの話と毛色の違うもん出てきましたな(笑)

英華「高校の時に、なんかクラブせなあかんと思って、でも、炎天下は倒れるので(笑)、吹奏楽部をちょっと見に行って、面白そうやなぁって。んで、クラリネットやサックスもあったのに、そんなとこだけ女の子なんかなぁ(笑)、フルートって色っぽいよな、と思って(笑)」

あははははははは(笑)わかるわかる(笑)

英華「なっ」

わっかる〜(笑)、私も中学の時、フルートやってたもん(笑)

英華「フルートやってたら、よぅモテてん(笑)。高校の時、むちゃくちゃモテてたもん。エラいことやってんで。親友同士は喧嘩するは、他の女の子が、私のん取らんといていう話になるは(笑)」

うわ、なんかの歌みたいや(笑)。あ、その頃も髪の毛長かったでしょ!そら、モテるわな(笑)


英華「ハーフみたいやったもん、その頃。髪の毛、ビールで脱色して(笑)。お風呂に大ビン持って入って、半分、頭にかぶって、シャワーキャップして、ほいで、その間に残りのビール呑むねん(笑)」

ぎゃははははは(笑)。髪長くて細くてフルート吹いて綺麗な女の子のやることちがう〜(笑)

英華「(笑)私、ほんまに舞台の見た目と、家でやってることと正反対やから(笑)…あ、こんなんも書くん?」

書きますよん(笑)。あきませんか(笑)

英華「ええよ(笑)」

話を元にもどして(笑)、三味線を始められる頃のことを

英華「当時、舞台へ出ても、そんなにしゃべりも上手くないし、これから先々、なんか一つ飛び道具を持ってたほうがいいやろと思って。年いったときのこと考えて、三味線が弾けるほうがいいしと思って、紹介していただいたおっしょさんが、長唄の家元の杵屋柳翁という師匠。猿之助さんが舞台でやらはる『鯉つかみ』なんかを作曲しはったんが、先代の柳翁という人なんやけど、おっしょさんは、そのお弟子さんで」

へえ〜

英華「そこへ伺ったら、“英華ちゃんは寄席の人やから、長唄より出囃子のほうが入りやすいでしょ”って向こうから言うてくれはって、それ、ちょっと嬉しいかな〜って思って。ふんで、出囃子から稽古をやってん」

柳翁おっしょさんは出囃子もよくご存知やったんですか?

英華「おっしょさんの旦那さんは、望月太津八郎という鳴り物師で、中田つるじ師匠が鼓とかを録音したりしはる時に行ってはったわけ。結婚しはった時、戦後すぐで寄席は出来たけど、お囃子さんが足らなくて、おっしょさんもかり出されて、ま、3歳からお三味線弾いてはるような人やから、なんでもすぐ出来はるねんけど、林トミのおっしょさんのとこに習いに行って。うちの師匠は譜が書けるから、弾いて、それが落語会ですぐ使えるやん」

はいはい

英華
「ほんで、出囃子稽古して、“こんな手癖のわるいっ”言うて、よぅ怒られたわ、始めの間。“勘悪いな、あんた”言うて」

えええ!?そんなんやったんですか!?

英華「だから、稽古終わってから。大学の落研の子ぉとか来て、皆楽しそうにしてんねんけど、、誰も私にしゃべりかけてくれへんから、私はとっとと帰るわけ。で、そのうちに、若い同期の子ぉとかが、“勉強会やってんねんけど、おっしょさん呼ばれへんから、来てくれる?”て言われて、“いいよ、行く行く”言うて。それで、請負い仕事みたいなんが始まったんや。“次は誰それが出るから、出囃子はこれとこれです、ネタはこれとこれですから、ハメものはこれです”みたいなんでやってたら、そら、家で稽古してるだけとちがうから、上っていくのが早いわな」

必要に迫られてですからねぇ


英華「あの時は、なんぼ忙しくても、三味線は30分は必ず持つって決めてて、時間がある時は一日弾いてるし、時間のない時でも、持ってるだけでも三味線の形が違うと思うてお稽古してた」

なんか、最初っから、けっこう出来てたっていう雰囲気があるんですけど(笑)。するするっと

英華「いや、私、踊りの時もそうやったけど、勘悪いねん。覚えられへんねん」

ひゃ〜、とてもそんなふうには見えへん

英華「自分で納得してなかったら覚えられへんねん」

踊りは?

英華「踊りはね、染丸師匠が高座のおしまいに、ちょっと立って踊ってはるのを見て、ああ、ええなぁと思ってね。こういうのんも出来たらええのにな、と思って。で、そや、稽古行こっと思って。一つの素養として」

講談やって、漫談やって、三味線やって、踊りも…。今まで他に何々なさいましたか?

英華「そんなもんちゃうか?」

ええ?だって、プロフィールに<南京玉すだれ>って書いたぁる(笑)

英華「ああ、南京玉すだれは、講談の時に、大道芸が流行ってたんかな。バナナのたたき売りとか、講談師でやってて。で、玉すだれを教えてもらってん」

たとえば、『たちぎれ線香』には、地歌の『雪』が出てきますけど、ああいうものを稽古する時は、地歌のおっしょさんのとこへ習いに行かはるんですか?それとも、お囃子さんのおっしょさんに習うんですか?

英華「昔はね、浄瑠璃する時は浄瑠璃するおっしょさんを別に雇うてはったみたいやな」

ほぉん

英華「地歌なんかは、一番初歩の地歌を何段か上げてから、長唄とかをしてたので、それは必須アイテムやったわけ。せやから、昔のお囃子さんやったら、東京から来た人やったら新内弾けるとか、こっちの人やったら、地歌や上方唄が唄えて当り前やってん。太棹(=義太夫節)だけは別やったけど」

はあ、なるほど〜

英華「うちのおっしょさんの教え方、おもしろかったな。“地歌はな、病人さんみたいに唄うねん。息継ぎぎょうさんしてな”言うて(笑)」

ふふ(笑)

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