話を元にもどして(笑)、三味線を始められる頃のことを
英華「当時、舞台へ出ても、そんなにしゃべりも上手くないし、これから先々、なんか一つ飛び道具を持ってたほうがいいやろと思って。年いったときのこと考えて、三味線が弾けるほうがいいしと思って、紹介していただいたおっしょさんが、長唄の家元の杵屋柳翁という師匠。猿之助さんが舞台でやらはる『鯉つかみ』なんかを作曲しはったんが、先代の柳翁という人なんやけど、おっしょさんは、そのお弟子さんで」
へえ〜
英華「そこへ伺ったら、“英華ちゃんは寄席の人やから、長唄より出囃子のほうが入りやすいでしょ”って向こうから言うてくれはって、それ、ちょっと嬉しいかな〜って思って。ふんで、出囃子から稽古をやってん」
柳翁おっしょさんは出囃子もよくご存知やったんですか?
英華「おっしょさんの旦那さんは、望月太津八郎という鳴り物師で、中田つるじ師匠が鼓とかを録音したりしはる時に行ってはったわけ。結婚しはった時、戦後すぐで寄席は出来たけど、お囃子さんが足らなくて、おっしょさんもかり出されて、ま、3歳からお三味線弾いてはるような人やから、なんでもすぐ出来はるねんけど、林トミのおっしょさんのとこに習いに行って。うちの師匠は譜が書けるから、弾いて、それが落語会ですぐ使えるやん」
はいはい
英華「ほんで、出囃子稽古して、“こんな手癖のわるいっ”言うて、よぅ怒られたわ、始めの間。“勘悪いな、あんた”言うて」
えええ!?そんなんやったんですか!?
英華「だから、稽古終わってから。大学の落研の子ぉとか来て、皆楽しそうにしてんねんけど、、誰も私にしゃべりかけてくれへんから、私はとっとと帰るわけ。で、そのうちに、若い同期の子ぉとかが、“勉強会やってんねんけど、おっしょさん呼ばれへんから、来てくれる?”て言われて、“いいよ、行く行く”言うて。それで、請負い仕事みたいなんが始まったんや。“次は誰それが出るから、出囃子はこれとこれです、ネタはこれとこれですから、ハメものはこれです”みたいなんでやってたら、そら、家で稽古してるだけとちがうから、上っていくのが早いわな」
必要に迫られてですからねぇ
英華「あの時は、なんぼ忙しくても、三味線は30分は必ず持つって決めてて、時間がある時は一日弾いてるし、時間のない時でも、持ってるだけでも三味線の形が違うと思うてお稽古してた」
なんか、最初っから、けっこう出来てたっていう雰囲気があるんですけど(笑)。するするっと
英華「いや、私、踊りの時もそうやったけど、勘悪いねん。覚えられへんねん」
ひゃ〜、とてもそんなふうには見えへん
英華「自分で納得してなかったら覚えられへんねん」 |