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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント


                 作品+印象+ワークショップ= ?

                                     レポーター:大藪もも

Company Class E 4/27(日)〜5/1(木) 全5回
*5/1(木)16:30 ショーイング 
[概要] リリースなどのテクニックをベースに身体の各部位に注目したカンパニーレッスンの後、j.a.m.作品のシーンを共に体験しながら表現体としての身体意識を高め自分の体の可能性を探る。Come with us!





 
  j.a.m.Dance Theatre(日本/大阪)(振付家:相原マユコ)今を生きている自分の感覚を大切に、観客をはじめ、そこに関わるもののイマジネーションをかき立てる作品作りを目指す。'02年、近畿大学文芸学部演劇・芸能専攻卒業生と美術を手がけるスエモトタモツらで結成。「横浜ダンスコレクション・ソロ×デュオコンペティション」「ネクスト・ネクスト4」「KAVC チャレンジシアター」「dB Physical Arts Festival 大阪BABA」等、関西、東京、横浜などで数々の作品を発表。'05年度よりアイホール「Take a chance project」(主催:伊丹市・(財)伊丹市文化振興財団)に選出され、新作公演の機会を与えられる。この他国内の活動にとどまらず、韓国、ポルトガルでのダンスフェスティバルにも招聘され、活動の幅を広げている。(提供:京都の暑い夏/Photo:清水俊洋)
 
 

 
                                       Photo: 森本万紀子


 2008年3月21日、仕事を終えて電車に飛び乗りj.a.m.Dance Theatre(以下“j.a.m.”)の『忘れてしまえ、すべてはすんだ話だ』という公演を観に行くために伊丹に向かった。1年前の暑い夏で、j.a.m.について殆ど何も知らないままワークショップを受講したとき、面白い人たちだなーと思ったし、もちろん作品も観てみたいと思いました。私にとっては待望のj.a.m.公演だったわけです。果たして、j.a.m.のダンスは激しく、生々しく、どろどろとしていて、人には見せない自己の負の要素(でも、なんかものすごいエネルギーのあるもの)をあぶり出されるようで、ふいっと背を向けて逃げたくなるようなものなのでした。正直なところ、そういうj.a.m.の振りはどちらかというと踊りたいとは思わなかった。でも、敢えて触れてみることで何か新しいものが見えてくることがあるかもしれないと期待していた。

 クラスの流れは、はじめにカンパニーで行っているウォームアップ、その後先の3月の公演で上演された作品のオープニング部分、久万田さんと今田さんの女性二人のデュエットのシーンの振り写し、そしてショーイングという流れの5日間でした。
 4年前にダンスを始めたきっかけがコンタクト・インプロヴィゼーションで、かつそれまでバレエもモダンもダンスらしいダンスにはとんと触れてこなかった私にとって、振りを覚えることは何よりも難しいものでした。単純に覚えることが苦手ということもあるのですが、振りを覚えるということが、踊ることを型でこなすことのような気がするのです。そんな時は振りが自分の身体になじまない気恥ずかしさのために動く気、覚える気になれないという事態に度々、陥りました。こんな振り覚えの悪い私と不幸にもペアになってしまったチカちゃんはとっても優しい人で、頭を抱える私を暖かく見守ってくれました。九州からやってきたという相方のチカちゃんとは会場で初めて出会って、初日からショーイングまでを一緒に過ごしました。こうした一期一会のステキな時間を共にすることができるのも、各地から参加者がやってくるフェスティバルの魅力の一つですね。
 

 
                                       Photo: 神澤真理

 ここらで相原さんの名言を一つご紹介いたしましょう。振りの始めのほうでつなぎあった手をバッと互いに振りほどく部分があり、ちょっと間違うと社交ダンスのようになってしまいます。そこで飛び出した相原さんの比喩表現が「腕はもっとイカみたいに、こう生のイカがピシャってなるみたいにして。鰹節じゃないねん」でした。わかりやすかったけど、イカと鰹節てそんな発想どこから出てくるのでしょうか。謎です。でも、真剣です。相原さんはここではイカと鰹節を喩えにして動きの質感を伝えていましたが、より具体的な振りに対するイメージについては全くといっていいほど言及しませんでした。たとえば“ここの部分は二人が憎しみあっているところ”などという指示はなくて、むしろこちらからどういうイメージなのか問いかけても「どう思う?」と返されるといった具合でした。それは振りという枠組みはあるけど、動きに含まれる意味はダンサーが各々、考えなければならないという状況を生み出していました。それによってダンサーが各自、動きの意味を独自に解釈し、こなしていくという過程を経ることで、ショーイングの際には同じ動きの振りなのにペアごとに全然違う印象にまとまっていたかと思います。
 

 
                                       Photo: 森本万紀子


 しかし、本当にアッという間の5日間でした。たった5日間でショーイングまでもっていくというのは結構ハードです。もちろんワークショップ(以下“WS”)の成果発表なので時間内にできたものを出せばいいだけのことなのですが、やはり人様に観せるというのはいい意味でのプレッシャーになりました。ショーイングがつくことで、少しでもいいものが作りたいという気持が湧いてきました。参加していた人、皆そうだったと思います。そのぶん参加者のモチベーションも高くて、WSを“受けている”というよりは、“作っている”という感じがしたのが心地良かった。全体的にいい感じの緊張感ある雰囲気のなか、限られた時間内で作りこんでいくためには振りを覚えきってから、イメージを作っている暇はありません。動きを覚えつつも、一回一回、自分の中でイメージを膨らませ、振りと自分のイメージとをすり合わせていく作業が同時進行していきます。いつもは使わない部分の脳みそを動かしての集中作業が続きました。もちろん今年も困ったときはj.a.m.メンバー5人のフルサポート体制が整っているので、いつでも駆けつけてくれます。私が全然振りを覚えられないものだから、今年もずいぶんお世話になりました。
 
 ショーイングは1ペアずつのリハを経てから、6組全員がひしめき合っての本番となりました。時間もなかったので、全員で通したのは本番直前の一回きりでした。フリースペースに6組、12人が動き回るので、下手をするとぶつかったり、人の動線を封鎖してしまったりという事態がおきます。全員で通すのが1回きりでは不安でしたが、一組ずつの緊張感も欲しいということで本番直前の一組ずつバージョンとなりました。意外に多い見学者にちょっとびっくりしながら迎えた本番では、やっぱり振りが入ってなくてごまかしてつないじゃいました。

 もともと、コンテンポラリー以外のダンスに触れてこなかった私は、どんな踊りを踊るときも私の身体で自分なりの解釈をするより他ありませんでした。そのためか、よく何を踊っても「ももはももやね」と言われることがよくありました。もちろん、そう言ってくれる人に他意はありません。ただ、自分としてはそう言われる度に、どんな踊りでも自分のキャラを逃れられないということを突きつけられたような思いでした。さらに、考えはマイナスの方向へ走り出し、自分の身体的テクニックの低さをもものキャラという“らしさ”で装ってごまかしているんじゃないか、また“らしさ”にかまけてテクニックを磨く努力から逃げているんじゃないかとまで考えていました。そうした考えに対して「いやいや私はダンサーじゃないから、そんな多様性や器用さを求める必要なんてないわ」という答えを出していました。ダンスらしいダンスなんて踊ってこなかったという劣等感に始まるマイナス思考のサイクルは、私の中でどんどんおかしな方向へと成長していました。それはまさにダンスを踊るときの私の負の部分でした。
 ワークショップのなかで、振りを覚えるという苦手な作業と、振りを自分なりに理解しこなすという作業を通して、自分の中の負と向き合ってきたといったところでしょうか。それは、まさに作品から受けた自分の内面をあぶりだされるようなものでした。あぶってみると、意外となんともなく、バカらしく、ちょっと気恥ずかしくさえあります。ただ、今でもそんな私の中の負の部分が一切合財なくなったとは言えません。でも、ショーイングを終えた後、「ももはももやね」という言葉が結構、フツウに嬉しかったです。

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