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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント



                室伏鴻インタビュー

                             インタビュアー:高山しょうこ+古後奈緒子




 
  室伏 鴻(日本/東京)舞踏における身体のエッジを模索する稀有な存在として、熱い注目を集めている。'69年土方巽に師事、'72年「大駱駝艦」の旗揚げに参加。'78年パリで「最後の楽園—彼方の門」を公演し、舞踏が世界のBUTOHとして認知されるきっかけとなる。'00年から『Edge』シリーズで欧・南米を中心に意欲的に活動。'03年Ko&Edge Co.を立ち上げ『美貌の青空』を発表、新しい舞踏を切り拓く作品として多くの批評家から絶賛を浴びる。 '06年ヴェネチア・ビエンナーレにて「quick silver」を上演。IMPULSE TANZ(ウィーン)やアンジェ国立振付センターなど指導者としても世界各地で活躍している。
 


 ワークショップを通して受講者たちに伝えたかったことは何ですか?

室伏 私なりに思っている「踊りとは何か?」ということです。ダンス一般と言ってもよいけれど、私は私なりに自分の踊り方ってものを持ってきた。それを “舞踏”とかって言われると、また少し違うとも言いたいんだけれど、ともかく私の踊りに対する考えというのは、私の体が持っている。一応、40年のキャリアというものがありますので。伝えたかったことは? と聞かれると、その体が持っている「踊りとは何か?」を室伏流の解釈で、ということになります。
 それが技術的なものかというと、もちろんだ、ということになります。技能的なことで言えば、例えば床に立つということでも、いかに立つかってことですよね? 普通に立つことと、踊りとして立つということは違うわけですし。それを伝えるというより、一緒に体験することですかね。

 今回のワークショップの手応えは? あるいは今回のワークショップで面白かったことは?

室伏 まず今回のワークショップは、限られた時間の中で、初心者が対象でしたよね。それで若い人がたくさん参加してくれたんだけど、みなさん一生懸命やったと思いますよ。私は日本であまりWSをやっていないので、初日は一時間半くらい、みんなの話を聞いたりする時間があったんです。そういうのって珍しくて、自己紹介だけでぱーっと終わるんですけれど、もっとそういう時間があるといいですね。どうしても動くことが先になってしまうので。

 海外での経験と違う反応などは感じられましたか?

室伏 もちろん、アメリカやヨーロッパでやるのとは文化も違うし、同じ文化の中で育った人ばかりの集まりという点も違いました。個々の参加者の経験の違いもあったでしょうね。
 比較的若い人がこれだけ参加してくれたのは嬉しいですね。男の人が少なかったのはちょっと残念でもありましたが。

 踊るときに大事にされていることは何ですか?

室伏 踊りっていうものは……、その場で一回きりで立ち上がってくるもの、生まれてくるものがありますよね。人間はそれを生きているわけでもあるんだけれど。さっき、普通に立っていることを、踊りで立つこととは違うと言いましたが、そこを貫通しているものは、いわゆる生、ライフですね。生成変化という言葉があるけれど、絶えず生まれてくるものを生きているわけだ。その生まれてくるものと一緒になったときに、踊りが見える。それは“事件”として成立したと言ってもいいかと思います。

 ダンスを見るときに大事にされていることは何ですか?

室伏 見る時も、自分が踊る時と同じように、それを見ようとするんでしょうね。

 ふだんの生活の中で、舞踊家であるために特に心がけていることはおありですか? 

室伏 私は踊りが仕事になっちゃっている。なので、お休みのときにあまり油断すると、仕事がうまくいかない。だから、今回のようにワークショップがあったり、ツアーがあったりするときは、2、3日前からコンディションを合わせて、体のコンディションを持ってくようにするんですけれど、そうそういつもはうまくいきませんね。でも心構えとしては、お休みも踊りの仕事があるときのために、調整するというか、準備しながらいます。お酒が好きだったり、煙草が好きだったりするので、まあ、煙草は減らすつもりはありませんが、お酒は本番を控えて2杯も3杯も飲まないとか、そのくらいのことはね(笑)。

 暗黒舞踏には、例えば出家をするような、何か日常生活と切り離して行うことのようなイメージがあります。

室伏 私に引きつけて言うとしたらの話ですが。……私は山伏になったことがあり、一度位(いちどい)という位を持っている。1年修行するともらえるんですけど。この山伏というのが、お寺のお世話をして生きている民間人で、いわゆる半僧半俗。ある意味で半出家者ではあるが、完全に出家した者ではない。出家すると言うと、世の中の日常、つまり俗世界から外に出る訳だが、山伏は外には出ませんからね。一方で、町の人の事を里人(さとびと)と言うのだが、山伏はお坊さんと里人との間をとりもっているのでメディエーター=仲介者ということになる。外と内の中間、お坊さんと里人の間にいて、行ったり来たりしているわけ。踊りも同じことで、そういう「間(あいだ)」のポジションを生きている。それは、サラリーマンやOLしたって同じでしょう? 自分のプライベートと、会社に貢献しなきゃなんない時間とがあって、やはりその間のような時間がある。間というのは、何か1つのものに決まっていくのと、そうじゃないものとがあって、生まれてくるもの。例えば、稽古の時に鳥の形と言った時に、その鳥に鳥じゃないものとの間を移動させた方が、もっと面白いものができる。鳥になってしまうと、鳥でしかない。鳥+1(プラスワン)のようなものにならないと、面白くない。鳥じゃないもの、不定形そのまんまというのは、次のものに継ぐためにある。だからその「間」に、ふらついているような、まるで「アララララ?」と迷いこんだような状態の方が面白いだろうし、大切にすべき時間だったりする。そこにいないと「事件」にならない。1つのものが生まれてくるのは、そういうところからだ。

 なぜ、舞踏では身体を白く塗るのですか?

室伏 それは化けるから、塗る。七五三でも白粉を塗るでしょう? ウエディングドレスなんか世界中白だけど、花嫁衣裳は「白無垢」って言うし、死装束なんかは新しい世界に行くから、移行の色だとか(言うし)ね。白という色はいろんな意味付けができるね。舞踏の世界は、段々白塗りになった。最初の頃は石膏で固めたり、身体を動かないようにするための工夫とかだったりしたんだ。それが、段々に白くね。私の中でも、銀塗りにしているのは、何かにこだわっているからだ。何も塗らずに裸で、素の裸で踊ったこともあったけど。裸という事を1つ考えると、例えば銀色というのは、異物である。鉱物、メタルといった物に対するある種のこだわりが私にある。意味付けは1つに限定しなくてもよいのではないか。銀塗りはもう随分長い事やってるし、もう飽きられていると思うから、そろそろ止めてもいいのだが(笑)。今日、パフォーマンスで、雨の中道路に寝そべったが、こういう場合、肌色そのままでいく方がいいか、銀で雨に打たれた方がいいかと言ったら、銀に塗った方が様(さま)になると思ったわけ。もう、おじいさんだし、シルバーエイジだしね(笑)。金を塗るほど、私は、豊臣秀吉のようでは無いので。ちょっと品がないでしょ? 「成金」とか居るじゃないですか。そういうのは、ない。銀の方が渋いでしょ。日本でも、金閣と銀閣ってあるけど、金閣を燃やして銀閣を残すわけだ(笑)。

 ワークショプで性別の違いは感じますか?

室伏 それはもちろん、感じる。そういうものにこだわれば、そういうものが見えたりするのだろう。今、私は30前後の男性たちを振り付けたりしている。女の人もやりたいなと思っている。そうしたら、別のものを創るか同じものを創るか。やはりどこか少し違うだろうね。例えば、振付で逆立ちをしてもらったりするが、同じ逆立ちでも女の人がすると違うと思うので。稽古場で実際にやってみないと解らないが、どうしても、見えてくるものは違うだろう。やってみないと解らないことなので、今は深くは言えないが、違いは絶対にあると思う。昔、アリアドーネの会という女性のグループがいて、3、4回振り付けたことがあるが、どんなだったか忘れてしまったな。随分時間が経ったからね。今度、新しい若い人たちとやるとなると、時代は動いているし、多分また違うものが創れるのではないかな?

                                       (4月13日/滋賀)

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