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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント



                エリック・ラムルー インタビュー

                             インタビュアー:中山登美子+吉川ベアトリス
                             翻訳:中山登美子



 
  エリック・ラムルー(フランス/カーン)カーン国立振付センター(仏)芸術監督。カンパニー・ファトゥミ・ラムルーをパートナーのエラ・ファトゥミと主宰する。90年代のダンスを象徴するものとして評価されている。'90年『ユザイス』がバニョレ国際ダンス・コンクールで入賞。以降、次々と新作を発表し、アヴィニョン演劇祭、リヨン・ビエンナーレに招待されるなど、ヨーロッパ各地、アフリカ、アメリカなどで公演活動を行っている。'94年にはイスラエルの「バットシェバ舞踊団」にもワークショップを提供している。'99年フランス政府派遣アーティストとして、関西日仏交流会館に滞在。'04年京都芸術センター、コーチング・プロジェクトで若手のダンサーに作品を創作。'05年よりカーン国立振付センターのデイレクターを務める。'97〜'99 年以来のフェスティバル久々の登場。(提供:京都の暑い夏)
 


 ワークショップで受講者に伝えたかったことはなんでしょうか?

ラムルー このワークショップ(以下WS)はコンポジションをつくる目的を持っています。参加者とともに一つの動きの流れをつくりあげていくのですが、その際私は、動く形象モデルを生み出す可能性は、数限りなく存在するということを、常に強調するようにしています。
 ダンスはどのようなコンテクストからも生み出すことができますが、今回のWSでは、コンテクストとして、サッカーを出発点に据えました。まず私がやって見せるサッカーの動きから始まり、小さなダンスへと展開してゆきます。個々の動きはサッカーから来ていますが、それをボールなしでやるのです。このやり方を少し教えて、参加者たちはデュオでパートナーとともに作業をしてゆく中で、その瞬間に注目します。すると彼らの動きは何か他のものへと形を変え、自分のダンスをつくり始めるのです。まずは1人から、次は2人組のデュオ、そして、最終的にはデュオの間の関係をベースに、6組のデュオから成る作品を構成してゆきます。そして、この創作過程も可能性の一つにすぎないことに注意を促してきました。私は先生ではなく、一人のアーティストにすぎませんので、お互いの経験を交差させてゆくんです。体のエネルギーの使い方、それを一瞬にして切り替えるやり方、ゆっくりした動きから速い動きまで何度も繰り返させる中で、メタモルフォーゼ(ダンスモデル変容)をもたらすプロセスです。もう一つ、このプロセスにおいて、リズムがとても重要な役割をはたしているということも、繰り返し伝えました。意味を生み出すのはリズムだからです。特殊なリズムをつくりあげるには、段階を踏まえなければなりません。考えてみれば、われわれの生活や人生は常にリズムを、そして、われわれを取り巻くすべての関係もリズムでめぐっているのです。
 こういったコンポジションのやり方は、コンセプトから出発する方法とは対極的ですね。私たちは、コンセプトを決めてから始めることはしません。動きながら実験し、そのプロセスで、また違ったものが現れるのです。「何か」が現れなくとも、それとは別のものが現れるでしょう。だからダンス構成を始める段階では何がどんなときにどのように現れてくるのか、まったく予想すらつきません。アイディアは、創作過程で前へ前へと進んでゆきます。

 なぜ、このような特別な創作方法に興味お持ちでしょうか?
 
ラムルー 私が関心を持つのは、言葉にするなら「抽象化された人間像(human abstract)」と呼べるような事柄で、抽象であって、コンセプチュアルではありませんよ。多様性あるいは多義性とでも言うか、人間はいろんな見方をするものだってことに、興味を惹かれるのです。例えば、ここに私が手に持っているカップを見るということにさえ、「白いよ」って言う人もいれば、「小さいな」と言う人もいるし、単に「カップだよ」と言う人もいるでしょう。何が見えるかは、あなたがどんな観点から眺めるかに影響されます。
 さて、ダンスとは見ることに関る活動です。あなたはダンスを見ますよね? その見方においても、たくさんの可能性を開いておくことに興味がありますね。それが私の関心事です。コンポジションのためには、例えばエアロビクスのような、フィットネスクラブにおける運動から取りだしたムーヴメントから始めることができます。それらの動きは、フィットネスクラブでなされている限り、価値はありません。けれども私たちの作品づくりにおいては、それらの動きに疑問を投げかけ、批判的に眺め、少しばかりの変化を加えます。そういったプロセスの中で、意味を生み出してゆくという作業を行っているのです。

 あなたはコリオグラファ−として、どのような状況のときに喜びや情熱を感じますか?

ラムルー コリオグラフィーをつくるとき、始めは素晴らしいと思えたアイディアが駄目になるといったことがしばしば起こります。クリエーションの最中は、決断、選択の連続です。その上で、何かが消えたとしても、別の何かが生み出されるのです。たくさんの可能性を開いておけば、プロセスが決定を行うような瞬間がやってくるでしょう。われわれがしなければならないのは、その瞬間に対してオープンであること、それを受け入れること、そして自分自身のものとすることです。断続的に起こるこれらの瞬間こそ、とても貴重です。

 このフェスティバルのユニークだと思われるとこはどんな点でしょうか?

ラムルー このフェスティバルがワークショップが中心である点です。フランスでは、ダンサーたちのための諸々のクラス、マスタークラスにショーイングが組み合わされたものはありますが、ここのフェスティバルに類するものは見当たりません。それに、ここでは多種多様な人たちが参加してきますね。私のクラスの人たちは、皆熱心な取り組みで、好奇心いっぱいに境界線を乗り越えようとしてますよね。ダンス講師陣も、いい意味で、ハードワーカーぞろいです。そして何より、主催者の公成&裕子がとてもオープンマインドであることが素晴らしいです。私は二人を12年前から知ってるんですよ。

 ダンスを見るときに大事にされてることは何でしょうか?

ラムルー ダンスを自分から切り離し同時に自分の一部として見るように心がけて、体をオープンにして見ようとします。よいダンサーは、独自のものを持っていて、私を驚かせてくれます。また、違うやり方で見ようともしますし、クリエイタ−がどんなやり方でダンスに問いを投げかけたのかも見ようとします。見ることは一つの創作仕事です。観客は同時にクリエイタ−でもあるんですね。
 
 ダンサーとして日常生活のなかで心掛けてることはありますか?

ラムルー 決まった一つの方法はありません。映画や絵画を観たり、好きな本を読んだり、もちろん‘make love’したりといったことも含め、一番大切なのは好奇心を持ち続けることですね。あまりに長く専門の仕事モードに留まり続けるなら、自分と生活の間に壁を建ててしまうことになってしまいます。たくさん働く時期もありますが、その後では1ヶ月ほど休暇をとって体を休めるようにします。土地を休ませて肥やすのと同じです。もちろん、体はその間も休みません。また、「自分の体に何が起きているのか?」、観客に「何を与えることができるか?  彼らはダンスを観ているときに何を感じているのだろう?」といったことがらについて、ていねいにゆっくり考える時間もたっぷりとります。ダンス作品を創作していくプロセスに入っているときは、観客もまたクリエイタ−であるということをついつい忘れがちですが、芸術はいつも人々との関係性において始まるのですからね。

                                       (5月5日/京都)

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