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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント


             砂連尾 理 インタビュー  出会うための姿勢

                                   インタビュアー:高田ひとし



 
  砂連尾理(日本/京都)大学入学と同時にダンスを始める。卒業後、ニューヨークにわたり、リモンテクニックをアラン・ダニエルソンに学ぶ。帰国後、アレクサンダーテクニックを芳野香に学ぶ。'91年より寺田みさことダンスユニットを結成。自己と他者という人間関係の最小単位である『デュオ』という形態の中で、そこから生まれ出るハーモニーに着目し、人間の新たな関係性を模索した作品づくりを行なう。又、近年はソロとしての活動も展開している。'02年3月「第1回TORII AWARD」大賞受賞。同年7月「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002」にて、「次代を担う振付家賞」「オーディエンス賞」W受賞。平成16年度京都市芸術文化特別奨励者。
 

 ワークショップ(以下WS)を通じて受講者たちに「伝えたかったこと」は何ですか?

砂連尾(以下、砂) 何だったと思いますか?

 生きる姿勢について僕は学んだように思います。世界に対する立ち方というか……。

 ですね、ほんとに生きざま。僕はWSというものを、「こういう風に世界と関わりますよ」と宣言をしていくことかなと思っていて、わかりやすい言葉で言う“生きざま”ってことになると思うし、あるいは他者や世界と関わる“私のスタンス”“私の方法”ということになると思いますね。

 砂連尾さんは何のためにWSをやるのですか?

 WSのときは特に、ダンスであれ何であれ、結局はどう生きるかなんだ、と思いますね。自分が生きていく、その生き方としての身体技法を伝えていく一つの手段として、WSというものがあっていいなと思っています。だってみんなダンサーになりたいわけじゃないでしょ。だけど、「じゃあWSって何なの?」ってなったときに、学校やダンススタジオならもっと専門的になるけれど、WSは専門的なことや人だけに限られるものじゃなくて、もうちょっと開かれている。語りかけられる場かな、と。

 WSの手ごたえはありましたか?

 そうですね。WSでは手ごたえがあるところまでは必ずやっているつもりなんです。「僕の生き方はこうだけど、君はどうなの?」と皆に問い返していったときに、それぞれの戸惑いや開き直り、そういったものが今回も見られた。どういったらいいのかなぁ……。皆が「自分でないといけないよね」と思うようなところに、僕がどう持っていけるか。そういったものを少しは感じましたよね?

 はい。一人一人が生き生きしていて、すごく楽しいなぁと思いました。
 今回は「こどもとおとな」クラスの講師を担当されていましたが、子どもに対するWSと大人に対するそれで、違いはありましたか?

 もしかしたら、子どもに対しての方が真剣かも。どれだけ子どもがダイレクトに反応返してくれるかは(WSの)一つの基準にしています。
 大人は頭で理解してくれようとしてくれる。だけど、子どもはダイレクトに身体でくるんで、飽きたらすぐ集中しなくなるでしょ。そういう意味では「はい、これで考えてください」と言うよりも、自分の感覚をどう投げ込んでいくか。大人でも同じようにしているつもりですけど、子どもの方が反応がダイレクトな分、もう一歩、より真剣になるというか。

 WSで教えるのはいわゆる「ダンス」ではなくて、本当に「生きていく姿勢」なんですね。そこで聞きたいんですけど、砂連尾さんの「生き方」とダンスはどう関わってきたのですか?

 僕はやはり、自分の今までにはない何かと出会いたい、ということの延長でダンスをやっているんだと思うんですよ。そうやって、他者や世界と出会っていくことで、同時に自分と出会っていく。
 それも、自分探しをするのでは全然なくて、自分の身体と出会っていきたいんですね。自分の身体ってのは、きっと、ある快感を味わいたいんだと思います。これだけ言うと語弊があることになっちゃうんですけど。自分にとっては快楽だったりするそれは、生きていく目的そのものになるのかな。
 やっぱり、僕にとってステキだなと思う人と出会う時というのは、明らかに快楽が広がる。だって、自分にないものと出会っていくことって面白いじゃないですか。そういった意味では、そのときの出会ったものにどれだけ身を任せていくか。

 砂連尾さんは生きていくことで、「出会って」いくんだなって思いました。ダンスWSにしても「他者や世界と出会うための身体の使い方」を教えているんだなと。砂連尾さんが人と出会うために、心がけていることはありますか?

 若い頃は、もうちょっとがむしゃらだったんですよ。でも自分の身体が筋肉質じゃないんで、あんまりマッチョにはいかなかったんです。それはよかったかな。でもそのせいで、どこかしらあんまりがんばらない。だから、もっとしっかり生きなきゃと。若い頃はもっと思っていて……、つい最近まで思っていたんですけど、今はまぁいいかって(笑)。
 がむしゃらにやってるときは、どこか閉じちゃってるのかな。僕にとっては、なるべく開いた状態でいると出会いがあるから。例えば呼吸をゆったりしてる方が、相手が上手く接してくれる。それが(呼吸を荒くして)ハッハッハッて「僕、頑張るから高田君!」とか言われちゃうと、なんか引いちゃうでしょ。そういうことだと思うよ。がむしゃらにやってると、僕は呼吸がよくなくなっちゃう。

 しかも、がむしゃらだと身体に力入っちゃいますもんね。でも不思議とゆっくり呼吸している方が身体はきついんですよ。なんか。

 自分の中で、ゆったり深〜く。深く呼吸をするということは自分の身体を懸命に使っていることだと思うんだよね。深く呼吸することの方が一生懸命生きている感じがするから。全身で身体を使う。そういう使い方をしたときにこそ、いい人と出会える。
 命がけの行為だと思うんですよ、ゆったり生きることのほうが。がむしゃらのほうがパーッとしか使ってない感じするんです。本当にゆったり呼吸をするということは、ある意味自分の身体のギリギリの命がけの行為であると、僕は思ってる。

 砂連尾さんがダンスに求めているものは何なんですか?

 ダンスを始めた頃は、もっと自意識が強かったんです。何かを表現しようとしすぎていたというかね。自分が今変わってきているのは、表現をしながらも表現をすることから遠ざかっているということかな。自意識を持ってしまっていることは業としてしょうがない。その中で、自分の持っている自意識をどうやって捨てていくか。
 僕の求めているものは自分の自意識にとらわれすぎては届かないものなんだってことが、なんとなく予感として感じるようになってきたんですよね。だから、これを捨てていかなきゃいけないんだけど、なかなか捨てきれない。

 なぜ、自意識を捨てることは難しいんでしょう?

 自意識を捨てていくことというのは、枠から外れていくことだから不安にはなるんですよ。でも、今僕は不安の中に自分の身を置き続けていきたい。そういう状態じゃないとたぶん、他者や世界と出会えないんだと思う。だって自分という枠組みだけだったら止まっちゃうわけですよ。

 そうですよね。例えば「演劇」にしても「ダンス」にしても、みんな、そういうジャンルの枠にすらとらわれちゃう。でも、そんなのにとらわれる必要なんてないんですね。

 それでも、やっぱりみんな枠組みにとらわれちゃうんですよね。だってそこにいると安心じゃないですか。だけど、自意識を捨てて不安の中に身を置いた時に、初めて、世界でいろんなことが起こっているであろう、そのことを想像できる、ということがあるのかも知れない。あるいはもっと言うと、死者とも出会っていくというかね。死者というのは、声なく、声も残らずになくなった人で、そんな人たちがきっといっぱいいたんであろう、ということは、ほんのわずかなことでしか知ることができない。それに対して、あえて表現というもので応えていくということが、自意識を超えていったところの表現になるのかなぁって今思ってます。

 じゃあ、砂連尾さんが普段の生活で心がけていることというのは、自分という枠にとらわれないということですか?

 あの……、これまで言っていたことをひっくり返すことになるかもしれないんですけど、心がけていることは、何かにとらわれることなく「わがまま」に生きることです(笑)。それが最もわかんないな。「我がまま」こそ、僕の言葉で言うと、最も他人に対しての誠実な姿勢である。誠実さこそ「我がまま」である。「我がまま」じゃないと、他人のことはわからない。ちょっと言葉としては矛盾してることばっか言ってるような気がするんですけど。

 「我がまま」でいることって、流れに逆らわないっていうことなんかなって思ったんですけど。他に流れがあってただそれに乗っていくんじゃなくて、だからといって自分の流れに逆流するわけでもなくて、この流れに乗っていくこと。それが、砂連尾道なのかなって(笑)。

 世の中には色んな流れがあってね、色んな流れに影響もされれば、ものすごい流れの中に巻き込まれることもあったり、そんな色んな中で「我がまま」でなければ自分がつぶれちゃうんですよ。世の中難儀な人のほうが多いですから、そういう難儀な人たちから自分を守る、その中でも人と関わっていくことも、関わらないこともちゃんと決めていくということ。強い流れに巻き込まれて疲弊することもありますよね。でもそういうどんな強い流れがきても、ちゃんとそれに対応できる身体を身につけたいなとは思いますね。

 自分で立ちながらも「自意識」に篭城しないで、人と関わっていく。言うなれば、自分自身からも「我がまま」になって、「出会い」の快楽を追求する……。
  では、最後に。京都の暑い夏で、やってみたいWSはありますか?

 タンゴがあったらやってみたい。直観だからなんとも言えないんだけど、大人のやり取りが出来そうな気がして。今までとはちょっと違ったやり取りを学べるような気がしてね。

 今日は本当にステキなお話をありがとうございました。砂連尾さんとの「出会い」があって、ほんと良かったです(笑)。

 まあ、行き着くところに行き着くと思いますよ。身を任せていれば。

                                       (5月7日/京都)

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