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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント


                 なぜティッシュは破けるのか?

                                     レポーター:高田ひとし
                                     写真:町田佳代子

こどもとおとな G 5/3(土・祝)〜5/6(火・祝) 全8回
[概要] 子どもとおとなの混合クラスを開催します。昨年のキッズクラスで突如現れた「パジャマおじさん」が国内外のともだちを紹介していく4日間。紹介していくともだちは海外・日本の第一線の振付家・ダンサーたちばかり。からだをつかって自分のからだや人のからだを知ったり、表現することをこどもも大人も一緒にする中で、こどもたちの豊かな表現や、年齢を超えたコミュニケーションの難しさも楽しさも知る場にしたいと思います。





 
  砂連尾理(日本/京都)大学入学と同時にダンスを始める。卒業後、ニューヨークにわたり、リモンテクニックをアラン・ダニエルソンに学ぶ。帰国後、アレクサンダーテクニックを芳野香に学ぶ。'91年より寺田みさことダンスユニットを結成。自己と他者という人間関係の最小単位である『デュオ』という形態の中で、そこから生まれ出るハーモニーに着目し、人間の新たな関係性を模索した作品づくりを行なう。又、近年はソロとしての活動も展開している。'02年3月「第1回TORII AWARD」大賞受賞。同年7月「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002」にて、「次代を担う振付家賞」「オーディエンス賞」W受賞。平成16年度京都市芸術文化特別奨励者。
 
 子供と大人が一緒になって「出会いの場」を作り上げる、「こどもとおとな」キッズクラスワークショップ(以下WS)。2日目のこの日は砂連尾理さんが講師をつとめました。WSを通じて感じた僕のクエッションはこれに尽きるだろう。
 なぜティッシュは破けるのか?
 

 
 まずは簡単な自己紹介から。
「僕は厳しい講師だから、WS中はおしゃべり禁止ね。自分の身体に集中しよう」と厳しいお言葉。でもその洗練された細身の体からはなんか、優しさがあふれています。その優しさは隠しきれないぜと思いつつも、ちょっとした緊張感の中WSが始まります。

 自己紹介も終わったところでみんなで正座。鼻の穴の片方だけをつまみ、深く呼吸する。片方の鼻の穴しか使えないから、いつもより「息が出ていく—入ってくる」ということが敏感に感じられる。それと同時に、体が深く深く沈みこんでいく感じ。たとえば、ちょっと背筋を伸ばして深く息を鼻から吐いてみてください。身体が重くなりませんか?
 そんな感じです。
 「このゆったりした呼吸は今日のWSのすべての基本です。どんなに激しい動きの時も、この呼吸を忘れないでください」
 と、砂連尾さん。子供たちも真剣に取り組んでいる模様。でも、子供たちの本領が発揮されるのはここからです。
 次は二人一組になって、フリースペースの端から端までを「腰から走る」ためのワーク。いくつかあるのですが、たとえば、みんなでカエルジャンプ。ただし腰から。ここら辺はさすが若い力という感じで、大人はひいひい言っているのに、子供は楽々と大きくジャンプ。はじかれたように飛びだす細く小さな体は、いつはじけ飛ぶかわからない太陽みたい。ちょっと恥ずかしげに「カエルジャンプ」をしている大人に比べ、何であんなに純粋に一つのことに熱中できるんだろう? うらやましくも、なつかしく。
 さらに、「腰」のワークは続きます。今度は一方が正座をして、もう一方が腕を押し前に押していくというワーク。これはなかなか難しくて、たとえば、腰がしっかりと据えられていないと、すぐに倒されてしまう。だからといって、腕に力を入れて耐えればいいのか? と言えばそうでもない。だって、それだと僕くらい力のない人間だったらすぐに倒されちゃう。だから、相手と自分が釣り合う腰の位置を探さなくちゃならないわけです。いったん、腰の位置が定まれば女性であろうと子供であろうと倒されることはほとんどありません。
 「腰をしっかりと据えた方が、ゆったりと構えられます。そうすると、どんな強いものが来ても対応できるんです」。
 

 
 

 
 「ゆったりとした深い呼吸」「腰を据えた立ち方」の二つが砂連尾WSの二大柱。ここら辺から、僕はこのWSがただの「ダンス」WSじゃなくて、「生き方」WS になってるんじゃないか? と気づくことになる。生きるためのWS。
 さて、まだまだ続く砂連尾WSはいよいよ「自分」から「相手」へと関係がシフトします。特筆すべきは、「ティッシュ」を使ったワークです。
 二人一組でティッシュの両端を持ち、ティッシュが破けないように動いていくというとてもシンプルなもの。けどこのシンプルさの中に「人と人とが関わるとはどういうことか?」の本質が凝縮されていると気づいたのはWS後のことです。
 僕はこのWSを二回受けたことがあります、一度は砂連尾さんの大人を対象としたWSで。そして、今回のキッズクラスで。
 大人を対象としたWSだと、やっぱりどこか「恥ずかしげ」なんです。そして、大人はティッシュが破けることを恐れます。だから、ティッシュが破けないようにあまり動けなかったり、相手の動きの先回りをして、破けないようにしたりする。どうも何か見えない「糸」で縛られているみたいに自由が利かない。ここへの気づきにこそ、このワークの肝があるんだなと僕は思ってました。……が、子供はフリーダム、そんなことは無視です。
 「ティッシュが破ける」なんてこと気にしない。というか、そもそも「ティッシュが破けるかもしれない関係」を「じゃあ、破けなくすればいいじゃん」という発想で切り抜けてしまうんです。
 僕と組んだ女の子は、なんとティッシュをねじって破けにくくするという荒技を使ってこれを切り抜けていました。おいおい、それは違うだろうと内心思う僕ですが、この「発想の転換」こそ、大人にはなかなかできない芸当なんだなと実感。
 大人は「ティッシュでやること」の意図をくみ取り、その意図にそってワークをこなします。当然。でも、子供は意図なんて考えないんですね。そう、子供は、何も考えないんです。
 ここに子供の強さと、僕らが大人になった証拠があるんじゃないかな。だって、「ティッシュ無駄使いしたら地球温暖化になるんだよ、ダメなんだよ」とは言わないでしょう。別の女の子が言ってたんですけどね。さらに、「何でティッシュでやるの?」と身も蓋もないこと聞く子には、砂連尾さんも苦笑。
 して、僕は思ったんですね。ティッシュが破けるのは、僕らが大人になったからなんだと。子供は「ティッシュが破ける」ことを知らない。「人と人の関係は破綻する」ってことを知らない。だからこそ、子供は自由で、大人は窮屈なのだと。そして、また、だからこそ大人には子供が知らない秘密の楽しみがあるのだということを。
 彼女らもきっとそのうち「ティッシュは破けてしまう」ことに気づくんだろうか? そして、破けるか破けないかの距離間に快楽を感じるようになるのだろうか? それは、また未来の話。

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