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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント



               室伏鴻との3日間 〜舞台上からの問い〜

                                    レポーター:高山しょうこ
                                    写真:町田佳代子

Dance Method A-1 4/11(金)〜4/13(日) 全5回
[概要] 「舞踏」を通じて身体の可能性/不可能性について考えます。「踊ること」をいったん自然の懐にかえすところから、「舞踏」の身体を複数の出会いの場とします。自らの身体の潜在する力を開き、鍛え、自由な創造と遊戯の過程から「舞踏」に出会います。参加者の年齢や経験は問いません。ともに身体を動かしましょう。




 
  室伏鴻(日本/東京)舞踏における身体のエッジを模索する稀有な存在として、熱い注目を集めている。'69年土方巽に師事、'72年「大駱駝艦」の旗揚げに参加。'78年パリで「最後の楽園—彼方の門」を公演し、舞踏が世界のBUTOHとして認知されるきっかけとなる。'00年から『Edge』シリーズで欧・南米を中心に意欲的に活動。'03年Ko&Edge Co.を立ち上げ『美貌の青空』を発表、新しい舞踏を切り拓く作品として多くの批評家から絶賛を浴びる。'06年ヴェネチア・ビエンナーレにて「quick silver」を上演。IMPULSE TANZ(ウィーン)やアンジェ国立振付センターなど指導者としても世界各地で活躍している。(提供:京都の暑い夏)
 


 その人は、スックと入ってきた。強い存在感を放ちながらも、いつの間にかそこに「居る」かのような登場。まるで伊賀忍者のようだ、と密かに思っていた。そんなに大柄ではないが、しかし、全身黒尽くめのスエットの下からでも鍛え抜かれた肉体が感じられる。そして陽にやけている太い首筋と丸めた頭が余計にその迫力を強調している。室伏鴻。暗黒舞踏の創始者、土方巽と共に激動の日本を踊り抜いてきた男。4月といえどもヒンヤリとした、滋賀会館の舞台の上で3日間の彼のワークショップが始まった。
 女性のワークショップ受講者が多く、舞台上でストレッチをしているその姿は、まるで色とりどりの魚たちが泳いでいる水槽を眺めているようだ。室伏はその群れに放たれた1匹の雷魚、はたまた巨岩、そして時として蓮の花……。さまざまな肉体の表情をみせて存在していた。
 

 
 ワークショップの初日、私たちは車座になり室伏さんを囲む様に座る。重厚感があって、そして安心感を与える声で室伏さんは、暗黒舞踏と自身が踊り抜いてきた時代を語り始めた。三島由紀夫の死と舞踏の関わり。日本人たるもの。東北。土方巽は「納豆の食べ方に舞踏がある」と言ったらしいが、そういった日常生活の所作から発している動きと踊り。大駱駝艦。身体と肉体という言葉の表現について。トピックは限りない! 受講者の多くは、まだ生まれてないか幼い頃の記憶しかない。しかし、政治や社会の動きとリンクさせ、時折ユーモアを交えながらの体験談、教科書では知り得ない活きた歴史をのめり込むよう聴くにつれ、瞬く間に1時間が過ぎた。このまま話を聴き続けていたい気持ちに駆られながらも、私は身体のエネルギーが揺れているのを感じていた。
 どの日のワークもまずはゆっくりと走ることから始まった。そして、声出しをしながら進むのだ。「ひょあっ」「うううううあああっ」「おあっおあっ」素っ頓狂な声、地鳴りの様な声、つむじから抜け出る様な声、色んな声を出して自分のペースで進む。そして、重心を感じるワークへと移行。私たちは立つ時、確かに足の平をつけて立っているが、そのエッジまでを存分に使って重心を探る。そして脱力と歩行を微細に感じるワークが中心にあった。そして様々な姿(人間の身体とは異なる物質、あるいは動植物)に身体を変容させていく。例えば、鳥、死にゆく者、猫、赤ちゃん……等々。
 

 
 

 
 自分のもっている肉体の殻を突き破ってあるいは溶かして、化けていく。自分の重心、軸、脱力、背骨、そんな事を感じながらそしてこころと身体でイメージを膨らませて、身体が変容していくのを感じる時間。
 「舞踏をする人は、頭で思考して動く人が多いように思う」と言う声を耳にした事があった。確かに暗黒舞踏では具体的な身体の動かし方よりも、独特の表現(抽象的なことばや文学的、詩的な表現)を用いて身体の動きを指導することが多いように思える。しかしながら100%頭で思考しながら動く訳でもない様に思える。なにせ自分で“感じる”のだから、端から見たら何をしているのか謎だ……、というのも多くあるだろう。しかし、私はそこに面白さを感じる。言葉を受けて身体の神経や血や筋肉、さらに微細な細胞たちが反応していく、つまり脳で思考する以外に身体で感じていると私は思う。室伏さんのワークでも多種多様な表現が飛び交っていた。一部を紹介しよう。

 歩行  片足が床に着く間際、親指からそっとそっと一本ずつ床に接触させていく際には、
     「床にKISS=口づけをする」「あなたのそのひと息が世界を壊す……」
     「少しずつ、少しずつ口づけをしていくが、しかし、まだ信用はできない……。
     まだ……、まだ……、徐々にゆっくりと足の裏を着けて……、重心を感じる」

 見る  「額の真ん中に目があって、そこで見つめる」
     「本当はその目で、私たちは世界を見ている」
     「さぁ、お父さんとお母さんをその目で見よう」

 溶ける 『ターミネータ2』に出てくる、メタル性の敵役をイメージする。 
     あの身体のように、ぐにゃっと曲がったり。そして、身体が段々、段々と
     地に向かって溶けていく。

 そして時折、土方巽や大野一雄が室伏さんを通して舞台に現れる。身体が崩れていく動作をする。なんだか筋肉も神経も張りつめたところから、段々と崩れて崩れて、でも、まだ崩れない。手はかじかんだ手の様に小刻みにふるえ、完全に仰向けで横たわるのではく、そうなる前の直前の姿勢。手も足も地面から少し宙に浮いていて、腹筋や背筋がピリピリと言っている。まだ倒れない、倒れない、くたばってたまるかーーー、くぅぅぅ……、最後の一言に何が出るか……? 皆でそんな奇妙な姿勢をしたまま、室伏さんは私たちに問いかける。
「土方さんは、『母さん(かぁさん)』大野さんは、『お母さん』と言っていたね。さぁ、あなたは何を発しますか? 女の人は何を発するだろうか? こどもの名前?」私もその姿勢のまま、最後の一言はなんだろうか。と思考し始めた。身体は地に着きそうな、ギリギリの位置で停まっている。まだ崩れない、くたばらない、まだ崩れない、くたばらない……。その時発する言葉はなんだろうか? 恐らく、思考なんてしてはいけなかったのかもしれない。その極限状態で発する言葉こそが必要なのだろうと思う。

 他にも、私たちは野蛮で繊細な鳥になり、針仕事をするばぁさんの手になり、呼吸に助けられて立つピノッキオにもなった。天から吊るされた糸によって、宙に吊るされている肉体と歩行。天女たちの行進。ピラミッドの頂点で瞬間的に身体を回転させる猫たちもいた。そして、手ボケ……。何かを掴もうとして、手を伸ばすが掴めない。小刻みに揺れて宙を掻いている。この手の型は、土方巽の手だと室伏さんは教えてくれた。「あっ」という一瞬を掴もうとする手。その様な動きもしてみた。数々の動きを体現していく内に、陶酔感にも似た感覚の海に溺れているような気持ち良さを感じていた。
 

 
 

 
 

 
 冒頭に書いたが、頑丈な肉体と軽やかさ、そして知性と理論を兼ね備え、するどい眼光を放つ、まるで現代に現れた忍者のような室伏鴻。その存在が放つ空気だけでも、まるで辻斬りにあったかの様に、精神も肉体もスパッと斬ってしまいそうになる。しかし、重厚で温和な声色と、ユーモアを交えたとても理知的な動きの説明などから、(もちろん、記した通りに抽象的なイメージなどもあったがそれに留まるものではなく)ダンディーでちょっとお茶目なおじさまでもあった。イメージが違ってきたなぁ、そんな印象も垣間みられて……。もちろん、そういった表層的なことのみならず、あの3日間はかなりの充足感が漂っていたと思う。そう、まるでそこに真っ黒い大きな葛篭(つづら)があって、ゆっくりと蓋を開けていくと……、飛び出す! 飛び出す! ありとあらゆる粒子? 時空? 物質? 宇宙か……。そして、気がついた時には、自分がその葛篭の中に居るようだった。普段からトレーニングをしていない私の肉体は、実は、痛みを発してはいたが、中々その葛篭から出ようとはしていなかった。
 
 あのワークショップから時間が経過してしまったが、受講者に尋ねてみようと思い、そのままになっていることがある。あの瞬間。崩れ落ちる、まさにその瞬間、あなたは何を発しますか? 私は、未だ答えを見つけ出せずにいて、たまにあの姿勢をとったりしているのです。

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